2008年12月29日月曜日

たよりにつかむ

年末である。

やっと普段の忙しさがとぎれてくれた。金融システムに火が付いたミンスキー・モメントが過ぎたのか、まだこれからなのかはわからないが、金融・経済危機の今秋、取り切れず、消化しきれなかった情報も多く、年末年始にゆっくり消化するかと思っているが、まあ、一日、二日はゆっくりするかな、と。

それで、少し買い物もあり、川崎まで出ることとした。我が家から歩いて5キロほど先だが、天気もよいので、ぶらぶら歩いた。歩きながらこういう時間も必要だなと思う。

川崎のはずれに芭蕉の句碑がある。うろ覚えだが、


麦の穂を
たよりにつかむ
別れかな


だそうだ。


芭蕉の句碑は各地で見るがこれは好きなもののひとつ。

麦の穂というから季節は麦秋。芭蕉が西に上る最後の旅だったようで、門人が別れを惜しみ江戸から川崎の宿まで同行したらしい。その別れのときの句。

句碑をのぞき込みながら、頼りのない麦の穂をも掴まんとするその気持ちに、なんだか、とにかく外需頼み一辺倒できた日本経済がここにきて急にガッンと急落。ほんとうに目指すべきは内需に依存する経済であったのに、それに成功せず、とどのつまりは繁栄に分かれを告げる、そんな状況がフト心に浮かんだ。

来年はどうなるか。

・・・・
たまたま大野林火監修の、『ハンディ版 入門歳時記』第三版(角川書店)をみたら、

麦の穂を力につかむ別れかな

とあった。

句碑にある解説はこうなっている。














どちらが正しいのか、ぼくにはわからない。

しかし、「力(ちから)につかむ」より、「たよりにつかむ」ほうがいいなあ~と感じている。

2008年12月25日木曜日

シカゴ・プラン

先般、ゲゼル研究会の講演会で金融危機に示される経済の金融経済化の弊害とその解決について考える機会があり、その一つの手法としてモーリス・アレの主張を取り上げた。

88年だったか、彼がノーベル賞を受賞したとき、我が国ではあまり話題にならなかったように記憶しているので言及させていただいた。

いわゆる「アレ・マネー」のアイデアの根底には、大恐慌後、米国で主張されたシカゴ・プランがあるが、ちょうど読んだASIA TIMESで、今般の金融・経済危機克服の処方箋として、

Hossein Askari と Noureddine Kricheneが

Dust off the Chicago Plan

としてアレやシカゴ・プランを取り上げていた。

http://www.atimes.com/atimes/Global_Economy/JI17Dj03.html

こうしたアイデアへの関心を呼び起こすのには格好の文章に思えたので、ご紹介。翻訳は得意ではないので、あくまで私の読み方ということで、お許しください。

・・・以下引用・・・・

01年から08年の期間、中央銀行は雇用と成長を促進するために記録的な低金利を通してきわめて緩い金融政策を追い求め、知らず知らずのうちに60年間で最悪の金融の不安定性を扇動した。結果として、多くの産業経済が現在、世界の他の国々にとっては不吉な含意を伴いながら、高インフレと失業増加のリスクに直面している。

歴史的な低金利を維持しようとすることで、中央銀行は流動性を注入し、統制できない融資ブームを始めて、住宅やコモディティ、株式、外国為替市場で激しい投機に火を付けた。拡張的な通貨政策の支持者たちは経済成長のために中銀に拍手喝采を送るけれども、生じた成長は供給駆動型ではなく需要駆動的で住宅やコモディティ価格における異常なインフレや大きな財政と対外不均衡を伴った。

住宅バブルの破裂とサブプラ融資のメルトダウン、そして資産価格のデフレによって、チープマネーの政策は厳しい金融危機に導き、次には経済成長が減速した。米国において、一連の最新の出来事は、米国の住宅ローンの50%以上を持つフレディマックとファニーメイを政府が買収することに導いた。これは納税者にとって高くつくかもしれないし、展開している金融危機のただ中で住宅価格を押し上げるという意図された目標を達成しないかもしれない。

ごく最近、リーマン・ブラザースは破産し、メリル・リンチはバンカメに買収された。世界最大の保険会社のAIGは瀬戸際に立っている。そうして多くの米国の大手地域銀行が数日でないとすれば、数週間のうちに困難のなかに置かれるであろう。倒産は企業救済と同様に重い負担を強要するだろう。

中央銀行にとっては、企業救済は、何もないところから貨幣を創り出すのに等しいので、コストがかからないように見えるにしても、一定の収入に依存する者たちや賃金稼得者に重い税負担となり、債権者の犠牲で債務者を支えることで広範な富の再分配に影響を与えてしまう。そのゆがんだ価格効果にくわえて、企業救済は実質貯蓄を侵害し続け、長期の経済成長に有害であるインフレ効果をもっている。

金融危機は大規模であり、終わりが見えないけれども、必要とされる基本的な対策を提起するために、政府や連銀が危機の諸原因の包括的な研究を緊急に引き受けることはほとんどなく、代わりに、企業救済であった。

企業救済を受け入れ、将来いっそう問題を創り出す前に、われわれには回答が必要である。07年8月以降のクレジットクランチや多くの金融大手を崩壊に近い状態に導いたのは、そしてこれまでのところ5000億ドルを超えたとてつもない償却へと導いたのはなにか。なぜ、当局は住宅バブルを緩和し、ファンダメンタルズをもって住宅価格を再調整しようと試みる方向に動かなかったのか。金融システムは頻繁に揺れを経験するようなものなのか。危機を作り出すことにおいて金融工学と高度化された金融商品の役割は何であったのか。どのような改革が将来における金融の不安定性を和らげるために必要なのだろうか。何が、1932年に設立されて以来うまく行っていたフレディマックとファニーメイを突然の崩壊に導いたのだろうか。政策立案者はこうした問いやその他の問いかけに答えてきていない。

07年から08年の金融危機はあらゆる点で、その原因や強さ、帰結において29年から34年の大恐慌を連想させる。ノーベル賞を受賞した経済学者、モーリス・アレは現在の金融危機と大恐慌は同じものだと書いている。ふたつとも、低金利によって燃料を与えられた投機的な信用ブームが先行し、株式と住宅市場で資産バブルが生まれた。いずれもがこうしたバブルの破裂によって資産価格のデフレが引き起こされ、そして信用収縮ないし凍結が重なる。大恐慌の厳しさは実質GDPの29%の下落、その結果失業率は25%、貨幣供給は30%まで収縮、そして広範囲の事業や銀行破産をもたらした。大恐慌の大きさと試練は多くの著名な経済学者に恐慌の真の原因を分析し、経済をこうした金融不安から免れさせる金融改革の定式化のために相当の努力を注がせた。

研究された改革プランはシカゴ・プランとして知られるようになった。1933年にシカゴ大学の教授たち、ヘンリー・サイモンズ、フランク・ナイト、アーロン・ディレクター、ガーフィールド・コックス、ロイド・ミンツ、ヘンリー・シュルツ、ポール・ダグラス、A.G.ハートのグループが書き上げたメモのなかで定式化され、『100%マネー』と題された書物で有名なアーヴィング・フィッシャーが強力に提唱したものである。

1837年、1873年、1907年、そして1929年から1934年の厳しい金融危機の基礎にある基本的な通貨上の原因を明らかにして、シカゴ・プランは通貨発行における政府の完全な独占と、銀行に預金に対する100%準備を確立することで貨幣ないし貨幣類似物の創造を禁ずることを要求した。貯蓄者と借り手の間にあってブローカーの役割を演ずる投資銀行は金融仲介を引き受けることになっていた。したがって、逆転した信用ピラミッドや(ヘッジファンドのような)ハイ・レバレッジの金融方式、(証券化のような)信用商品の貨幣化はシカゴ・プランのもとでは排除された。信用乗数ははるかに小さいものとされ、準備率ではなく貯蓄率で決定されるであろう。

アーヴィング・フィッシャーが述べているように、「100%プランの本質は貸付から独立した貨幣を作ることである。すなわち、銀行の業務から貨幣を創造し破壊するプロセスを分離することである。付随的な結果にすぎないが、銀行業はより安全でいっそう有益なものになるだろう。しかし断然、最も重要な結果はこれまで人類の経済上の大きな災厄であり、主に銀行業から生じた周期的なインフレとデフレを終わらせることで大好況と不況を防止することであろう。」

フィッシャーによると、貨幣創造は借り入れる借り手と融資する銀行の二つの意思の偶然の一致に依存している。ケインズは、流通する媒介物における揺れの大きな源泉としてこうした「二重の欲求」を嘆いた。なぜか。不況のときには、借り手は過剰な借り入れ状態にあり、より小さな利益見通しをもち、少ししか借り入れる意思をもたず、銀行は減損した資産を負い、貸し付ける意思をそれほどもたなくなる。共同して、彼らは貨幣の収縮を引き起こし、次いで経済循環における下降の深刻化を引き起こす。

シカゴ・プランは、政府証券を使った公開市場操作を通して貨幣供給をコントロールする目的で連邦公開市場委員会FOMCを創設した1935年の銀行法の制定に影響を与えた。シカゴ・プランは1935年に、コロンビア大学のジェームズ・エンジェル教授によって容易に実行可能なように提示されたが、金融安定化を持続することに向けたその潜在的な貢献にもかかわらず、決して真剣に考慮されることもなく雄弁なアカデミックな解釈のままであった。

アーヴィング・フィッシャーはこう書いている。「私は、このプランが不況の問題を迅速にかつ永遠に解決するために、これまで提案されたなかで最良のものであると信じるようになった。なぜならそれは好況と不況、双方の主要な原因を取り除くだろうからである。」

貨幣創造が唯一、政府の特権になったとき、そしていかなる貨幣代替物も許容されないとき、貨幣供給のコントロールは銀行による貨幣創造のシステムにおけるよりも容易になる。フィッシャーとサイモンズの両者は貨幣供給量をコントロールし、ドルの価値を安定化させる固定した規則を提案し、強く裁量権を否認した。彼らは、最終的な貨幣のインディケーターを決定しなかったが、にもかかわらず、いくつかのインディケーターを定式化した。そのうちのいくつかは満足のいく貨幣供給の固定したルールとして機能しえた。

シカゴ・プランの強力な支持者には、モーリス・アレとミルトン・フリードマンがいる。両者とも裁量的なルールを批判し、実体経済の成長と年2%の軽度なインフレに沿った貨幣供給の伸びをセットすることよりなる固定したルールを望んだ。フリードマンよりもさらに、アレは100%預金準備の支持者であることを公言していたし、当座預金勘定向けの100%リザーブの銀行業務と融資活動向けの投資銀行業務との銀行業務の分離を支持していた。

彼は銀行の貨幣創造から銀行にもたらされるシニョレージ(注:貨幣発行益)が政府に引き渡され、減税が可能になることに注目した。アレは証券化、ヘッジファンド、複雑な信用デリバティブズのような金融革新がレバレッジを増大させており、貨幣代替物を倍増させ、信用の拡張と収縮を通した貨幣の創造と破壊の力を強め、金融システムが不安定性にきわめて傷つけられやすくしていることを指摘している。

彼は株式市場の厳しい規制と、ただ実体経済の活動を不安定化し、なんの貢献もしない(例えば、ヘッジファンドのような)投機資金の廃止を要求している。彼は、前連銀議長のアラン・グリーンスパンを、ヘッジファンドを救済したとして批判している。そしてこうした救済が長期の金融の安定性にとって有害であると見なした。

1970年代央以来の強度を増している金融の不安定性の再発、最も進んだ金融システムの増大する脆弱性、そして巨額の社会的コスト、持続することが課す不公正、増加する企業救済は高名な経済学者が発展させた改革の武器庫と、不安定性を防ぎ、好調な経済成長や物価、為替相場の安定を保障しうる金融改革の手段に舞い戻ることを必要不可欠なものとしている。

シカゴ・プランは大恐慌への回答であるが、最良のプランであり続けており、それがないところでは、金融の不安定性は避けがたい。ハイマン・ミンスキーが「安定性は不安定である」と述べているが、それには金融が安定している時期には金融不安が続くことが含意されており、それは本質的に、シカゴ・プランとフィッシャーの書物で分析されたのと同じ理由でである。

今日、われわれは政治的サポートや現在の中央銀行改革の必要性を認識することで、シカゴ・プランからはるかに離れたところにいるが、金融及び経済の不安定性の頻度や強度が圧倒的になっていることは明白である。かつてサイモンズが、そして最近アレが記したように、貨幣上の不確実性は非常に巨大に成長し、大きな所得再分配や価格のひずみ、顕著な信用及び市場リスクをもたらし、価格や産出高の合理的な予測を不可能にしている。

ひとつ実例として、原油価格は、07年8月のバレル当たり65ドルから08年7月にはバレル当たり147ドルにまで爆発した。そして今月、バレル当たり100ドル以下に急落した。同様の揺れが為替相場、ゴールド、その他コモディティでも、また同様に住宅価格でも見られるのである。

1935年の銀行法はFOMCに貨幣供給をコントロールするように要請した。しかし、1965年央以来、FOMCは主に金利をコントロールし、通貨供給量のコントロールは放棄してきた。その結果、貨幣を創造し破壊するというはるかに大きな役割は銀行システムに任されてきた。

大恐慌と現在の金融危機は二つとも、金利ルール適用可能性に敵対する有力な証拠であり、システミック・リスクを示し、莫大な経済コストと金融上のカオスはこのルールから出てきている。対照的に、1950年から65年に経験したような金融の安定と好調な経済成長はこの時期、連銀が直接銀行の支払準備金を管理していたので、通貨供給量の安定によってもたらされた。同じ流れで、連銀総裁のポール・ボルカーが1979年から1982年、銀行の支払準備と通貨供給量を規制した後でだけ、インフレは止むこととなり、金融の安定性が回復した。

ファニーメイやフレディマック、ベア・スターンズ、ノーザン・ロック、カントリーワイドの多くの金融大手の失敗やその他多くの機関の資産価格下落、中銀の融資機関への乱用的な償還請求は金融機関の誤った経営に責めを負わせることはできない。これらの金融機関は中銀が決めた誤った政策の犠牲者であった。いま、かつて以上に、シカゴ・プランが甦る必要性がある。おそらくその完全な実施ではなくて、少なくとも安定化のために要請されるその基本的な原理と通貨政策を縛るルールである。

現在の動揺した中銀の政策の文脈では、潰すには大きすぎるとみなされた長い歴史をもつ機関でさえ、金融の不安定性にあまりに傷つけられるようになる。規制の前面に出て、増加した貨幣代替物を削減しなければならないが、また厳格な限界のなかに通貨量をコントロールすることに戻り、通貨上の規律を回復しなければならない。加えて通貨の安定性を回復し、シカゴ・プランのもとで要求されたような、貨幣の過剰な拡大や収縮を引き起こす銀行システムの力に決まったルールで限界を設けることだろう。そして質の高い生産的な投資に直接融資することであろう。

もう、経済成長と雇用創造が中銀の主要な義務であり、金利ルールはあらゆる経済的疾病の万能薬であるという謬見から離れるときである。経済成長を刺激するために金利をへたにいじくり回すことで、中銀は引き替えに投機バブルや過剰な債務、債務不履行、数百万の住宅差押え、金融部門の崩壊、インフレ的な企業救済のかたちで予想せざる諸問題を作り出した。

スタグフレーションを引き起こすことで、中銀の経済成長の目標は自滅的なものにもなった。中銀が通貨の諸条件を再建し、貨幣創造のプロセスを直接的コントロールを回復すると決めるまで、経済的苦痛と金融上の混乱は続くであろう。

シカゴ・プランを引っ張り出して、第二の様相をもたせる時である。

・・・引用終わり・・・

2008年12月24日水曜日

過大な利潤

ルモンドのブログで、ジャン・フランソワ・クブラは

「多すぎる利潤が危機を引き起こした」

として

http://dechiffrages.blog.lemonde.fr/2008/10/21/un-exces-de-profits-a-provoque-la-crise/

1934年から1948年まで連銀議長を務めたマリナー・エクルズの議論に言及している。

たしかに、Beckoning Frontiers, 1951.のなかで、エクルズは、

「現在の所得のよりよい分配が存在していたか・・・」

「大量生産には大量消費が伴わねばならず、また大量消費には、既存の富ではなく現在生産される富の分配が含まれる。この分配は一国の経済機構が提供した財やサービスの総量と等しい購買力を人々に提供することである。こうした種類の分配の代わりに、巨大な吸い上げポンプが1929年から1930年まで、現在生産された富の増加する部分を少数者の掌中へとくみ上げた。これは彼らには資本蓄積として役立った。しかし多くの消費者の掌中から購買力を取り上げることで、貯蓄家たちは、彼らの蓄積した資本を新規資本設備に再投資することが正当化されるであろうところの彼らの生産物に対する有効需要を自ら否定した。その結果、チップが次第に少数の者へと集中し、そのほかの者たちは借り入れることだけでゲームに止まっていられるようなポーカーゲームのようになった。借り入れが尽きたとき、ゲームは止まった。」

と指摘しているが、今回の金融・経済危機も本質は同じにみえる。

クブラも指摘するとおり、「国民所得の賃金と利潤への誤った分配が危機の源泉に存在する」のはたしかに見えるから。

エクルズについては下記参照。

http://en.wikipedia.org/wiki/Marriner_S._Eccles

2008年12月13日土曜日

地域コミュニティ

正確なところ貨幣とはなにか?我々の貨幣システムに関する真実と神話の分離

What Exactly is Money?

A separation of truth and myth about our monetary system

By Jon Ronnquist

http://www.informationclearinghouse.info/article21451.htm

を読む。

昨今の金融・経済危機がこうした問いかけをなさしめるのだろう。金融や貨幣に関するJon Ronnquistの議論は興味深かったが、それはそれとして、末尾の地域通貨に関する一文が印象に残った。

金融危機の時期には必ず、地域通貨への関心が復興するが、彼はこう述べている。

・・・引用・・・

国民通貨の不足によって引き起こされたクラッシュを回避するひとつの手段は地域通貨の創造である。歴史を通して幾度も、国民銀行の崩壊に対抗するためにこのことはなされてきた。大胆な計画が必要とするような巧みさがほとんどの現代のコミュニティには致命的に欠けていると考えるのは恥ずべきだが、コミュニティはあまりに生き延びるために大銀行や巨大な雇用主、大規模な小売りチェーンの悪循環に依存してしまっている。そこでは現状の快適さから根源的に離れることがほぼ確実に想像を超えているだろうが、こう言うことで、モノの見方に奇跡的な影響を与える力になりうる。

・・・引用終わり・・・

ここで、国民銀行と言っているのはnational bankのことで、連銀が出来る前のフリーバンキングの時代に米国各地にあった銀行のことだろう。明治初期の日本人は米国を視察して、我が国にも「国立銀行」を作ったが、もちろん民間の銀行である。Jon Ronnquistはそうした歴史を念頭においているのだが、そのころと今はコミュニティのあり方が違っていると。あまりに大規模な銀行や企業にわれわれの生活が依存するような状況、それが地域通貨の困難の底にあるのではないかという指摘に受け取れた。しかし地域通貨がわれわれの考え方にもつ影響を評価しているようにもみえる。もしわれわれが現状の快適さから離れることを想像でき、違ったコミュニティのあり方に思いが及ぶようになるならば、そうした地域通貨のメッセージ性は常に評価されるべきだろうと感じさせられた。

なぜなら地域通貨に困難がありとせば、それは地域のコミュニティの困難でもあるはずだからだ。それはわれわれの生活・仕事・生き方の全体のあり方に関わっている。我が国でも10年以上継続して、いまごく普通の風景となった地域通貨がいくつか存在する。それはなによりもコミュニティとそこに身を置くひとたちが変わってきている事実に気づかされるから。

血気

経済の先行きについてよく聴かれる。

まあ、長期停滞でしょう、と答えることにしている。

なかには、PrisonPlanetのサイトのように

http://www.prisonplanet.com/from-the-panic-of-2008-to-the-collapse-of-2009

(トップペイジが表示されるので下記用語で記事検索すると出てくる。)
from-the-panic-of-2008-to-the-collapse-of-2009

catastrophism丸出しで

「2008年のパニックから2009年の崩壊へ」

なんて言う向きもある。

これに反して投資家向けのサイトでは、「株式市場はあなたの生涯で最大の買いチャンスをあなたに与えています。おそらく最もすばらしいです。底を探そうとするのはもう止めてください」と言ったり、「いちばん困難な決定は何を買うかということではありません。ただ買うということです。」などと、ずいぶん威勢のいいところもある。

(例えば、http://www.leutholdgroup.com/ ここはユーザでないとアクセスできない。元気を出そうとする方は登録するのがよいかも(笑))

まあ、しかし、本日は週末、いずれになるにしても明日が来てアスが今日になればわかろうというものだ、と突き放して休養。こういうときは発想源を切り替えて楽しむのがよいかな。

そこで、このところ凝っている『五行大義』をめくることとした。今秋から続く金融・経済危機に関連しては、ゲゼル研究会の雑誌、「人間の経済」、通巻230号に「金に従革せず」として書いた。

http://grsj.org/

金の象徴する季節は秋、その方位は西、陽の沈む死を象徴する方位であることを信用収縮が示しているとも読めるなあという他愛ない話を書いたわけ。

まことに、

○ 金者禁也、陰気始起、万物禁止也。

金はカネとしても使われる。カネはなによりも市場の支配権を有している。実体経済の優先性を強調してもカネなくして回りはしない。実に、カネに禁止する拒否権 veto を社会は与えている。そうしていま、世界中のカネは現金に逃げ、キャッシュ同等ともいうべき米国の財務省証券に形を変えている(昨今は、利回りがマイナスになってさえも保有したい人間がいるわけだ)。それは実体経済を萎縮の極みに追い込む。

陰気である。

○ 地反物為秋

まことに

地に物を反すを秋と為す

である。生産の停滞、失業が本格化している。実体経済という太陽は西方に傾いている。

しかし、季節はもう冬である。

かくなれば、同書の続きを読まねばならぬ。陰が究極まで窮まり陽転する季節、冬の話を。

冬を時とするのは五行において、その始まりを為す水である。

○ 両人交一以中出者為水

水とは両人(男女、陰陽)が交わって一となり、その中から出たものを水というわけだ。

そうして、

○ 陰陽交以起一也。水者五行始焉。元気之湊液也。

陰陽交わって一を起こすなり。水は五行の始め、元気の湊液なりと。元気の湊液とは元気の集まったものだ。

○ 水者地之血気、筋脉(きんみゃく)之通流者

だから水は地の血気というわけか。ここでいう血気で、ひとが実体経済に資金を投資するケインズのいう血気を思い起こさせるか。

また、筋肉や血脈の流れだという。まことに、こうしたカネこそ貨幣といいたい。地に万物を返す金ではなくて。

そうした水の季節は冬。

○ 中有微陽之気、其時冬

である。そのなかに微細なる陽気があるという。いま冬といいながら陽気やいずくに隠れているか。

○ 冬終也。万物至此終蔵也。

しかし、冬は終わりを指す。万物はこの冬に至って終わり地中に蔵されている。

まことに辛い季節だ。

○ 冬之為言中也。中者蔵也。其位北方。

冬とは中を言う。つまり蔵(こも)るということ。方位は北。

○ 北伏也。万物至冬皆伏。貴賤若一也。

北は伏なり。万物冬に至りて皆伏す。貴賤一(いつ)の若(ごと)きなり、か・・

貴いものも賤しいものもみな、同じく隠れているのが冬か。

経済の今のごとく血気も隠れているのか。いつ水は陽転するのか。

まことに、

○ 冬陽之所始、陰之所終。

冬は陽の始まるところ、陰の終わるところ。

それがいつか人の知りたいところだろう。しかし、そのためにはさらに「水に潤下と曰う」の条りを読まねばならぬ。

(上記原文の引用は、中村璋八、藤井友子、『五行大義』全釈、上巻による。)

2008年12月9日火曜日

量と質

いまFRBはすさまじい規模の流動性を金融システムに流し込んでいる。

FF金利の水準は1%だし、民間の屑証券購入にも余念がない。先進各国の政策金利は、日本が0.3%で英国2%、カナダ2.25%、ユーロゾーンは2.5%と金融危機のなか、ゼロ近傍に向かっている。

またFRBは日本が手がけたような量的緩和に取り組み、論者のなかには、わざわざバーナンキを「さん」付けで日本式に呼ぶ人もいる。カネが借りやすくなっているわけだが、こうした金融が緩和された状態のなかで、どうも事情に不案内の人もいるようだ。

それでかどうかは知らないが、ウィレム・ブイターがブログで「今度に限り少しだけ」と言って量的緩和と質的緩和について忠言してくれている。

要するに量と質の話だ。

http://blogs.ft.com/maverecon/2008/12/quantitative-easing-and-qualitative-easing-a-terminological-and-taxonomic-proposal/

公式の政策金利(リスクフリーな短期名目利子率)や準備率の変更以外に、中銀が取りうる諸方策について次のような用語法を提案したいというのだ。

○ ひとつは量的緩和。これは金融債務であるベースマネーの増加による中銀のバランスシートの規模の増加を示し、中銀の資産構成は変わらない。

資産構成は中銀が持つ総資産価値に占める各種金融商品類の比例的割合とみてよいから、一定の流動性と危険性をもつ金融債務の増加による中銀のバランスシートの規模の増加を量的緩和の定義としてもよいという。

○ 質的緩和とは、中銀の資産構成がより流動的でなくリスクも高い資産にシフトすることを示す。ここでバランスシートの規模は一定で、政策金利なども変わらない。流動性も低くよりリスキーな資産には、リスクのすべて、デフォルトのリスクまで含まれている。

FRBはいま積極的にこの二つの緩和をしているのだという。

たしかに、ドル札をどんどん刷っているし、救済する企業が保有する屑証券を買い上げてもいる状況をみると、その指摘はなるほどと思う。

特に質的緩和はFRBの財務内容を悪くしていると思う。値段もつかないかもしれないような債券を市中から疎開させて金融業者の再生を推し進めたいのだろうが。

明快な言葉が事を明瞭なものにしてくれるようだ。ブイターの一言を読み、アタマがすっきりした感じがした。

2008年12月5日金曜日

中小企業支援

友人に幾人かの中小零細企業の経営者がいる。

このところの金融・経済危機で運転資金の手当てが付かず、苦しむ様子は見ておられず、だからといってなにかをなしうるわけでもなく、なるたけ迷惑にならぬよう、連絡もせずに静かにしながら心配しているほかなかった。そうしてもう12月となった。資金繰りはついたのだろうか、気にかかる気持ちはいや増すけれど、と。そういう状況のなかで、ゲゼルについて詳しい、ウィレム・ブイターがFTにもっているブログの記事をみた。

http://blogs.ft.com/maverecon/2008/12/when-good-politics-makes-for-bad-economics/

各国でさまざまな救済策を実施しようとしているが、このブログは英国のそれを取り上げたもの。住宅ローン負担軽減策についての議論は省略するけれど、中小企業救済で、真に、目先、とりうる手法につき述べているところが目に付いた。

要約するとこんな感じである。

中小企業や一般に非金融企業部門への外部からの融資を回復するには、いくつかの手法が実行されうる。

○ 非金融企業部門への銀行融資を政府が保証する。必要とされる金額が借り手や銀行への補助金の大きさを決めるだろう

○ バンク・オブ・イングランド(日本なら日銀)は直接企業の債務証書を買い上げる(連銀がコマーシャルペーパーについてしているやり方)

 あるいは、バンク・オブ・イングランドは商業銀行と競合して直接、非金融ビジネス部門に貸付を実行する

○ 政府が100%保有する銀行や株式の多くを保有する銀行、さらには株式を保有する銀行に非金融ビジネス部門や中小企業に貸付を命ずる

○ 株式の保有具合にかかわらず、全銀行に中小企業や非金融ビジネス部門への貸付を増やすよう命ずる

○ 中心街にあるすべての銀行を国有化して中小企業などへの貸出を命ずる

一口に救済というが、これまで大もうけしてきて、損失がでたら国民経済を人質にとるかのように、各種救済策を求める金融業者は救済すべきにあらずと思うが、その強欲のツケを回されて苦しむ実体経済を、いま、ただいまどうするか、ちょっと参考になる話ではあった。

なにしろ、企業活動にとって、costs come before revenues なのだから、労賃や原材料費等の支払いが入金の先にくるわけで、つなぎ資金はどうしても必要。資金需要に応えてほしいわけだが、危機のときほど金融業者はリスクをとらず、貸し渋り、場合によれば貸しはがしとなる・・・

2008年12月2日火曜日

軽度の流動性の罠

この金融危機のなかで多くの国が政策金利を下げてきている。ゼロ金利という底が見えてきている。

こういう状況のなかで問題となるのは、流動性の罠。

FTでブログを精力的に書いているウィレム・ブイターの議論はいつも参考になる良質のものにみえる、愛読している。

最新の投稿、「金融当局は流動性の罠に飛び込む時だ」で、「軽度の」流動性のワナに言及している。

・・・引用・・・

「軽度の」流動性の罠は短期金利がゼロを上回っているときさえ発生しうる。短期名目金利がゼロに落ちるときは確実に発生するだろう。通貨当局が望んでいなければ、そして課税貨幣をもちえなければ、銀行券の名目的なゼロ利子率があらゆる短期名目利子率の底を決める。私は、あまりにも多くの中央銀行家がシルビオ・ゲゼルの著作を熟読しているのを見たことがないので、当分の間、リスクフリーな名目利子率にとっての効果的な底としてゼロ率のリスクフリーな短期名目利子率を扱うつもりである。

・・・引用終わり・・・

It is time for the monetary authorities to jump into the liquidity trap


http://blogs.ft.com/maverecon/2008/12/it-is-time-for-the-monetary-authorities-to-jump-into-the-liquidity-trap/

ゴキブリの教訓

金融危機のなかで、金融システムや金融市場をどうすべきなのかの議論が止むことはない。どうしたらよいのかという議論と答えを出す努力をしなければならないとは思うが、同時に金融技術の革新・高度化が人間が作り出したものでありながら、その手に余ることになっているのではないかとも思う。

下記のサイトで、「ゴキブリの教訓」の話を読んで、その感を強くした。

http://www.multinationalmonitor.org/mm2008/072008/bookstaber.html

Fighting Demons: Addressing the Perils of Financial Innovation
Market Complexity as a Source of Crisis
Tight Coupling and Market Shocks
Do Regulators Have the Tools They Need?
What Changes Should Be Contemplated?
Lessons of the Cockroach

この末尾にこうある。

・・・引用・・・

汚らしいゴキブリはシステミック・リスクを回避するためにどのように市場を構造化し規制するかについて、ほんの些細なことを私たちに教えている。ゴキブリは何億年にもわたって存在しているが、ジャングルが砂漠に屈して都市に変えられても生き残っている。単純で、粗雑な防衛機構で生き残ってきた。ゴキブリは見るとか聞くとか、匂いを感ずるとかでは逃げていかない。その足を打とうとするわずかな風の気配でも、その反対方向に動くだけなのである。それはどのような特定の環境でも、”もっともうまく設計された昆虫”賞を受賞しはしない。しかし生き残るのに申し分ないと思える。別の昆虫は食料を集めたり、特定の環境に合ったカムフラージュで微調整されてきたかもしれないが、避けがたい変化に直面して生き残ることができなかった。
私たちはシステミック・リスクをどう考えるかというとき、ゴキブリを覚えておく必要がある。私たちは私たちが見ている今日の世界においてどのような有利な点をも見つけ出そうとして市場を設計し、良好に調整する努力を考え直してみなければならない。私たちが参加さえしえない出来事の避けがたい進行に直面するとき、より単純な金融手段、より低度のレバリッジがいっそう強健で生き残りうる市場を作り出していくであろう。

・・・引用終わり・・・

レバレッジを効かせて、あまりに信用をふくらませ過ぎた反省は確かにあるだろう。ゴキブリの教訓は考えさせられる。

2008年12月1日月曜日

地域通貨に関する論文4本

最新号のZeitschrift für Sozialökonomie が送られてきているが、そのなかに地域通貨に関する論文4本あり。

Regionalgeldausgabe in Deutshland -- Eine kritische Betrachtung

Regionalwährungen als Bausteine einer Postwachstumsökonomie

Welchen Beitrag zur Regionalentwicklung können Regionalgelder leisten?

Staatliche Komplementärwährungen: "dritter Weg" zwischen Geldreform und dezentralen Regionalwährungen?

最後の「国家の補完通貨:貨幣改革と分散的地域諸通貨の間の第三の道か?」なんかは、WATのMLで議論したような、国家マネーを議論している。どこの国も同じような状況で同じようなテーマを抱えているというべきか。

http://www.h7.dion.ne.jp/~a1morino/dossier/zfsoe158-159.swf

2008年11月30日日曜日

経済学者

ルービンは自身のシティでの誤りに触れずに、金融システムを非難しているが、下記について彼は有罪だとしているサイトを見た。

○ グラス・スティーガル法の撤廃

○ デリバティブズを規制から外した

○ 2004年にシティがいっそうのレバレッジをとるよう督励

○ 2001年のリセッション中、そしてその後の超低金利

http://www.ritholtz.com/blog/2008/11/rubin-nobody-was-prepared-for-crisis-of-08/

こういう誤りを反省して欲しいが、このサイトで、こんないい言葉を見つけた。

An economist is an expert who will know tomorrow why the things he predicted yesterday didn't happen today. —Laurence J. Peter (1919 - 1988)

経済学者というのは彼が昨日予測した事が今日起こらなかった理由を明日知る専門家である。ローレンス・J・ピーター

まったくその通りだ(笑)

2008年11月23日日曜日

呪いか天恵か

http://www.prospect.org/cs/articles?article=republic_of_the_central_banker

で、The American Prospectの記事、「中央銀行家の共和国」を読む。

「私たちの市場経済には中央計画の島がある。大統領も議会もその議長の権力に挑戦しはしない。」

長文だが読むに値するものだった。

末尾に、

「キケロは彼の政治上の同盟者カトーがほんとうは彼らがSewer of Romulusに住んでいるのにプラトンの共和国に住んでいると考えていたことが問題だと言った。私たちが中央銀行家の共和国に住んでいるのは、呪いかそれとも天恵か、いずれかである。」

とある。

ここで Sewer of Romulus の Romulus とはスーパーパワーを指す。つまり超大国のことだ。またSewerとは都市諸国家を意味するらしい。

そこで、つまりは、実際はスーパーパワーのなかの具体的な諸州に住んでいるのに、プラトンの共和国のような哲人王のいる国家に住んでいると考えているカトーがいるということではないかと受け取った。

もちろんバーナンキを念頭において。

まことにローマ帝国の共和制が失墜していく歴史に詳しくなくとも、この文章の末尾は意味深だった。

米国民にとって、連銀は呪いなのか天恵なのか?

2008年11月16日日曜日

ミンスキー

ニューヨークタイムズの記事で、

http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=990CEEDB1F30F935A15753C1A960958260

ミンスキーがすでに逝去しているのを知った。学生時代に読まされたときは、その意義を理解できなかった。

「・・・ケインズは金融市場の不安定性について書いたが、ミンスキーは初めてこの不安定性がどのように拡大し、経済と相互に作用し合うかを説明した。・・・」

1974年に、ミンスキーは書いている。「我々の経済の基本的な特性は金融システムが頑丈さと脆弱性の間で揺れ、この揺れが景気循環を生み出すプロセスの不可欠の部分であるということである・」

The New Yorker にも記事があった。

http://www.newyorker.com/talk/comment/2008/02/04/080204taco_talk_cassidy

The Minsky Moment

こんな出だしだ・・・・

「25年前、ほとんどの経済学者が金融の自由化と革新をもてはやしていたとき、ハイマン・P・ミンスキーという一匹狼がウォールストリートにかなり否定的な見解を抱いていた。事実、彼は、銀行家やトレーダー、その他の金融家が定期的に経済全体に火を付けて、放火犯の役割を果たしたことを指摘した。ウォールストリートは破壊的な景気ー不景気の循環を発生させ、ビジネスや個人に大きすぎるリスクを取らせたと彼は信じていた。こうしたパターンを打ち破る唯一の方法は政府が中に入って、貨幣人間たちを規制することでした。・・・」

金融・経済危機のこんなご時世だ。ちゃんと読んでおけばよかったと思う。

これから読むか・・・

2008年11月15日土曜日

債務担保証券商法の次はなに?

清話会さんのブログに掲載していただいたのだけれど

http://ameblo.jp/seiwakaisenken/page-3.html#main

こちらにもコピペしておこうかな、と。

・・・

経済の出来事を、うまくできた寓話がよく理解させてくれるということがある。


ドイツのfreiwirteという経済関係のメーリングリストを購読しているが、そこで、サブプラ危機から始まる金融危機に関して、ミヒャエル・ムジール氏の、08年10月24日付け「チャックと駄馬、あるいは米国金融システムの機能の仕方」という一文が目についた。


お話はおおよそこうである。


・・・


青年チャックは独立して農場を持つほど豊かになりたいと望んだ。


初めに彼は馬を農民から購入する。


農民に代金全部、100ドルを支払い、彼と翌日、馬を引き渡す約束を交わす。


次の日、農民が訪れ、チャックにこう告げた。


「悪い知らせです。申し訳ありません。昨晩、動物は倒れて死にました。」


チャックは答える。


「いいですよ。ただ私のお金を返してください。逃げないでください。」


農民は彼にこう打ち明ける。


「そのお金は昨晩、肥料を購入するのに使ってしまいました。」


チャックは少し考え、


「う~ん、じゃあ、」と口を開き、では、私は「死んだ動物をもらう」。


農民は尋ねる。


「何のために?」


「それでくじをしたい」とチャックはいう。


農民は驚く。


しかしチャックは答える。


「問題ない。それがすでに死んでいても、誰にも言わない。」


数ヶ月後、すてきなスーツとかっこよい靴でチャックと農民は都会の道を走る。


農民はいう。


「チャック、馬の死体の富くじでどれくらい儲かった?」


「こうさ」チャックは彼に説明する。


「2ドルで500枚のくじを売った。最初から1000ドルが利益だ。」


農民は「で、だれも不平をいわなかったかい?くじで勝った人は。」と聞く。


チャックは「単に2ドルを戻しただけさ。」と。


いま、チャックはゴールドマン・サックスで仕組み金融商品を販売している。


・・・


ここで馬はサブプラ債権である。


債務担保証券の構成要素である住宅ローンなどの貸出債権は、個人の平均信用度を上回る、オルトAとプライム、それにこれを下回るクレジット・スコアのサブプライム向けに分かれる。


プライムを○、オルトAを△、サブプラを×とすると、○△×を集めてきて債務担保証券を仕組んだ。


ここで×ははなから、死んだ馬であることがわかっていて貸し出したわけ。


しかし、要は、「問題ない。それがすでに死んでいても、誰にもいわない」ということであった。


つまり、死んだ馬も普通の馬も駿馬もみな切り刻んでごちゃごちゃにして一つの「馬」を作り上げる。これを格付け会社が、AAA, AA, A, BBB, BB, B, 格付外にランキングを作成してくれる。


客はこの馬がよい成績を出してくれるだろうと、その馬に賭ける。そうしていま、その馬は値が付かないほど下落している。こうした証券をたとえば、破綻してしまったリーマンから購入した人々は、額面1ドルにつき、いまはわずか15セントの値しかつかない紙くずを握ることになっているそうだ。


上記文中に「都会の道を走る」とあるが、まさに走ると表現できるほど、この詐欺商売のスピードははやかった。


そのスピードの元が金融工学であった。


80年代の半ばころ、ソロモン・ブラザースが証券化の技術を開発した。それに首を傾げてきたが、20年にも満たぬうちに、世界を席巻した。


投資会社(証券会社)はマネーマーケットからカネを借り、それを融資し、そう、「農場を持つほど豊かになりたいと望んだ」というぐあいに、融資しまくった。


死んだ馬でもよかったのだ。


そして証券化して販売した。


その販売代金をまた貸し付け、・・・以下同様。


最初にスタートするときに借り入れた資金のほかは、資本など不要なわけである。こうした手口はさまざまな類似の手口を生み出した。しかし、死んだ馬が稼いでくれると人に信じ込ませる本質にかわりはない。


米国人はクレジット・カードを使う。いま、その信用残高は2兆6000億ドル。これも資産担保証券の元になっている。


米国流生活様式は世界に輸出されてきた。しかし死んだ馬の成績に期待させ、リスクを引き受けさせるビジネス文化は死んだ。ほんとうに死んだのである。借金文化も死滅していく必要がある。


チャックを走らせてはならない、いや失速しているか。米国では債務担保証券の発行は急減しているそうだから。


しかしこの数十年、こうした金融<詐欺>産業で儲けてきて、それが立ちゆかなくなっている状況は米国にとって深刻だろう。仕組み金融商品で世界中の欲に目のくらんだ人々をだましてきはしたが、次なる米国の産業はなにか、製造業の大切さが日本人ほどわかっているのか、たとえそうではあっても、とてもそこには戻れないだろう。


債務担保証券というインチキを商えなくなって、こんどはどんな「産業」を起こすつもりなのか。


そこでどうするか、いま大統領がどちらになるか世界の注目ではあるが、こうした金融上の詐欺の尻ぬぐいをしなければならないだろう。もしかしたら、極端なドル安にするあらゆる手を使うかもしれない。

基軸通貨

基軸通貨の強み、当たり前だが。

いま開催しているG20でサルコジは、ドル基軸通貨の体制への挑戦を口にしている。しかし、米国がゆずることなどないだろう。

欧州がこれまでの、国際金融や通貨体制に不満を募らせるのは、金融市場救済策でいくらツケを回されたかをみればわかる。

シュピーゲル国際版には、明瞭な図が掲げられている。

http://www.spiegel.de/international/business/0,1518,589952,00.html

しかしここで改めて基軸通貨国の当たり前ではあるが、その特権を確認せざるをえない。

米国でも金融市場の救済には多額の資金を投じようとしている。

しかし、こどもならギモンに思う。

こども:そのお金、誰から借り入れるの?

パパ:新聞では納税者が負担するって言っているから国民から借りるんだろうね。

こども:納税者?誰のこと?

パパ:パパも将来のお前もそうかな。

こども:でもお金はないよってパパ、言ってるじゃない。貯めたお金はわずかで、そのお金もいま住んでいる家の玄関の部分くらいかな(住宅の一部の持ち分だけ)って、この間言ってたじゃない。

パパ:・・・・

こども:それに、家の値段はどんどん下がっているし、玄関の部分の値段も下がっているんでしょ。うちに余ったお金はないんじゃない?

パパ:うち以外はミューチャルファンドとか401kとかで株や債券という財産をもっている人がいるよ。

こども:でも株が三分の一に下がっちゃったってとなりのおじさんがぼやいていたよ。売るに売れないって。

パパ:だからはやく解約したり、売ったりして現金にしておけばいいってパパは言ってたんだよ。

こども:でも、現金に換えようとして売るとますます株なんかの値段が下がって、みな大変になるってがっこーの先生が言ってたよ。

パパ:う~ん、米国の国民は救済資金を貸せないんだな~。外国人から借りるしかないか。

こども:外国人が貸してくれるの?そんなに信用してくれるの。

パパ:国が借りればいい。

こども:国が国から借りるの?そんなことできるの?

パパ:できるんだ。お金を印刷すればいいんだ。

こども:ふ~ん

パパ:でもどれくらい印刷するか、それが問題だ。

こども:救済っていうことはお金がたりなくなって支払いができない会社を助けることでしょ?だったら、その払えない分を印刷すれば。

パパ:ここでお前に説明しておかなくちゃならないことがある。(咳払い)

世の中には人から借りてるお金と実際に経済のなかにあるおカネの二種類があるんだ。

お前のポケットのなかにあるお金は実際に経済のなかにあるお金。じつはその何十倍ものお金が借金したお金であるんだよ。

借りているお金だから返す約束の日がきたら返さなきゃならない。返したらそのお金はなくなる。でも、借り換えて同じ額のお金をもつことができる。

経済が大きくなっていて、お互いに信用があるときは、お金の貸し借りは増えてお金の量も増える。

でもね、経済はいつも調子がよいわけじゃあない。縮小していくときもある。そうすると借金の返済が滞ってしまう。

こうした貸し借りのプロセスにケチがつき始めると止めるのは難しい。

こども:それが、信用収縮?となりのおじさんが言ってたよ。

パパ:そうさ。借金が返せない人がたくさん出てくるし、貸すほうも危なくて貸せない。それは鎖のようにつながって世の中に伝染していくんだ。

こども:景気が悪くなるいっぽうだね。

パパ:でも悪い話ばかりじゃないんだ。

こども:え?

パパ:こうした借金は米国人自身のお金、ドルで値段が決まっている。

米国人や米国の国そのものが、借金で首が回らなくなっても、いい手があるんだ。以前、ロシアという国は90年代に国家が破産する危機に陥った。でも米国はそういうことはないんだ。借金がドルで建っているからだよ。

米国はいくらでもドルを印刷できるんだ。

こども:でもそれをするとインフレになるってせんせーが言ってたよ。

パパ:それがいいんだ。

ドルを印刷して、印刷して、どんどん借金を返す。ドルの量が増えれば他のものの量は決まっているから、ドルの値打ちが下がる。インフレだよ。ドルは安くなる。最後は全然値打ちがなくなるかもしれない。

米国にたくさんのお金をドル建てで貸してくれていた外国や外国のお金持ちは破産するだろうね。だってドルは値打ちが落ちているし、そんなドルを支払ってもらったり借りたりする人を見つけることができなくなるからさ。

借金まみれの米国が破産するんじゃないんだ、貸し手のほうが破産するってことだよ。

これ米国だからできるんだよ。

こども:米国って、とってもずるいね!

パパ:パパやお前も米国人でよかったじゃないか。

2008年5月30日金曜日

コミュニケーションの全球化と衛星ゲットーあるいはスカイプゲットー

コミュニケーションのグローバル化が却って人々の非寛容とゲットー化を促進する事例を読む。

http://www.resetdoc.org/EN/Skype-ghetto.php

こんな話だ。

フランスに移民してきた父親は7年前は家族と話す手段がなにもなかった。しかしじぶんの移民生活は根本的に違っている。Skypeやモバイルで、ほぼ毎日家族と話せる。親類や友人とは
メール、音声メール、テキスト・メッセージ、写真、ビデオを共有できる。こうしたコミュニケーションのグローバル化を活用することで非寛容さとゲットー化が進むというのだ。移民は毎日、自国からの衛星放送をみている。それは移民の移民先への統合を阻害するというわけ。

たしかにコミュニケーション手段は進歩した。それが人間とその関係の拡充につながると期待した時代もあっただろう。しかしいま、却ってタコツボ化を生んでいるのではないか。ゲットー化したなかでの濃密な関係と閉鎖性、そして変わらなさ。

たとえば、私自身、SNSサービスというものを利用しているが、そこでウスウス感じていた、事の裏面というものをこの記事をみて感じた。

2008年5月14日水曜日

期待

本日は若い人たちと会う、話を求められるが突っ込んだ話はやめる。

みな優秀でじぶんたちのなかからオリジナルなものが生まれてくると信じているようにみえて頼もしい。若いうちは、鼻っ柱の強いほうが仕事を成し遂げるだろうし、強い自己確信も必要なことだ。

しかし下記の箴言があたまをよぎったので、老人の話はそこそことする。

帰宅し、どんな言葉だったか思い出すためにネットで辞書を引いてみる。

あった、あった。下記に貼り付けてよいものか迷うが、まあお許しいただこう。

Nihil est in intellectu, quod non fuerit in historia, et omne, quod fuit in historia, deberet esse in intellectu.
"Nothing is in intellect which has not been in history, and everything that was in history should also be in intellect."
Tell a Friend-Gustav Spet, Wisdom or Reason, 1917

歴史のなかになかった知のなかにはなにもない、そして歴史のなかにあったすべてはまた知のなかになければならない・・・か。

つまり・・・・

まあ、語っても蛇足となるか。

新規な中身のある、歴史のなかになかった知の生まれるを期待していたい。そしてでき得れば歴史に関心をもつ人の増えることを。

2008年4月27日日曜日

末路難き

私は、今年、前厄である。

ということは来年は本厄、再来年は後厄ということになる。

いつの間にかそんな地点にさしかかっている。すこし静かにしていたいと思う。なにしろこれからが大変だから。

昔から末路難きという。

佐藤一齋は『言志晩録』でこう言っていた。

「至晩年蹉跎不能如意。譬如登山。自麓至中腹易。中腹至絶頂難。凡晩年所為。皆収結事也。」

蹉跎(さた)とはつまずくことだから、「晩年に至るや蹉跎して意の如くなること能わず」とは晩年になるとつまずいて思ったとおりにならんということか。彼は登山に譬えている。登りはじめは容易だが、中腹から先は困難だと。

「凡そ晩年に為す所は、皆な収結の事なり」とは身に応える言葉。

少し息をついて先行きに備えにゃならんか。

落ち着いてブログでも始めようかと。