2008年12月25日木曜日

シカゴ・プラン

先般、ゲゼル研究会の講演会で金融危機に示される経済の金融経済化の弊害とその解決について考える機会があり、その一つの手法としてモーリス・アレの主張を取り上げた。

88年だったか、彼がノーベル賞を受賞したとき、我が国ではあまり話題にならなかったように記憶しているので言及させていただいた。

いわゆる「アレ・マネー」のアイデアの根底には、大恐慌後、米国で主張されたシカゴ・プランがあるが、ちょうど読んだASIA TIMESで、今般の金融・経済危機克服の処方箋として、

Hossein Askari と Noureddine Kricheneが

Dust off the Chicago Plan

としてアレやシカゴ・プランを取り上げていた。

http://www.atimes.com/atimes/Global_Economy/JI17Dj03.html

こうしたアイデアへの関心を呼び起こすのには格好の文章に思えたので、ご紹介。翻訳は得意ではないので、あくまで私の読み方ということで、お許しください。

・・・以下引用・・・・

01年から08年の期間、中央銀行は雇用と成長を促進するために記録的な低金利を通してきわめて緩い金融政策を追い求め、知らず知らずのうちに60年間で最悪の金融の不安定性を扇動した。結果として、多くの産業経済が現在、世界の他の国々にとっては不吉な含意を伴いながら、高インフレと失業増加のリスクに直面している。

歴史的な低金利を維持しようとすることで、中央銀行は流動性を注入し、統制できない融資ブームを始めて、住宅やコモディティ、株式、外国為替市場で激しい投機に火を付けた。拡張的な通貨政策の支持者たちは経済成長のために中銀に拍手喝采を送るけれども、生じた成長は供給駆動型ではなく需要駆動的で住宅やコモディティ価格における異常なインフレや大きな財政と対外不均衡を伴った。

住宅バブルの破裂とサブプラ融資のメルトダウン、そして資産価格のデフレによって、チープマネーの政策は厳しい金融危機に導き、次には経済成長が減速した。米国において、一連の最新の出来事は、米国の住宅ローンの50%以上を持つフレディマックとファニーメイを政府が買収することに導いた。これは納税者にとって高くつくかもしれないし、展開している金融危機のただ中で住宅価格を押し上げるという意図された目標を達成しないかもしれない。

ごく最近、リーマン・ブラザースは破産し、メリル・リンチはバンカメに買収された。世界最大の保険会社のAIGは瀬戸際に立っている。そうして多くの米国の大手地域銀行が数日でないとすれば、数週間のうちに困難のなかに置かれるであろう。倒産は企業救済と同様に重い負担を強要するだろう。

中央銀行にとっては、企業救済は、何もないところから貨幣を創り出すのに等しいので、コストがかからないように見えるにしても、一定の収入に依存する者たちや賃金稼得者に重い税負担となり、債権者の犠牲で債務者を支えることで広範な富の再分配に影響を与えてしまう。そのゆがんだ価格効果にくわえて、企業救済は実質貯蓄を侵害し続け、長期の経済成長に有害であるインフレ効果をもっている。

金融危機は大規模であり、終わりが見えないけれども、必要とされる基本的な対策を提起するために、政府や連銀が危機の諸原因の包括的な研究を緊急に引き受けることはほとんどなく、代わりに、企業救済であった。

企業救済を受け入れ、将来いっそう問題を創り出す前に、われわれには回答が必要である。07年8月以降のクレジットクランチや多くの金融大手を崩壊に近い状態に導いたのは、そしてこれまでのところ5000億ドルを超えたとてつもない償却へと導いたのはなにか。なぜ、当局は住宅バブルを緩和し、ファンダメンタルズをもって住宅価格を再調整しようと試みる方向に動かなかったのか。金融システムは頻繁に揺れを経験するようなものなのか。危機を作り出すことにおいて金融工学と高度化された金融商品の役割は何であったのか。どのような改革が将来における金融の不安定性を和らげるために必要なのだろうか。何が、1932年に設立されて以来うまく行っていたフレディマックとファニーメイを突然の崩壊に導いたのだろうか。政策立案者はこうした問いやその他の問いかけに答えてきていない。

07年から08年の金融危機はあらゆる点で、その原因や強さ、帰結において29年から34年の大恐慌を連想させる。ノーベル賞を受賞した経済学者、モーリス・アレは現在の金融危機と大恐慌は同じものだと書いている。ふたつとも、低金利によって燃料を与えられた投機的な信用ブームが先行し、株式と住宅市場で資産バブルが生まれた。いずれもがこうしたバブルの破裂によって資産価格のデフレが引き起こされ、そして信用収縮ないし凍結が重なる。大恐慌の厳しさは実質GDPの29%の下落、その結果失業率は25%、貨幣供給は30%まで収縮、そして広範囲の事業や銀行破産をもたらした。大恐慌の大きさと試練は多くの著名な経済学者に恐慌の真の原因を分析し、経済をこうした金融不安から免れさせる金融改革の定式化のために相当の努力を注がせた。

研究された改革プランはシカゴ・プランとして知られるようになった。1933年にシカゴ大学の教授たち、ヘンリー・サイモンズ、フランク・ナイト、アーロン・ディレクター、ガーフィールド・コックス、ロイド・ミンツ、ヘンリー・シュルツ、ポール・ダグラス、A.G.ハートのグループが書き上げたメモのなかで定式化され、『100%マネー』と題された書物で有名なアーヴィング・フィッシャーが強力に提唱したものである。

1837年、1873年、1907年、そして1929年から1934年の厳しい金融危機の基礎にある基本的な通貨上の原因を明らかにして、シカゴ・プランは通貨発行における政府の完全な独占と、銀行に預金に対する100%準備を確立することで貨幣ないし貨幣類似物の創造を禁ずることを要求した。貯蓄者と借り手の間にあってブローカーの役割を演ずる投資銀行は金融仲介を引き受けることになっていた。したがって、逆転した信用ピラミッドや(ヘッジファンドのような)ハイ・レバレッジの金融方式、(証券化のような)信用商品の貨幣化はシカゴ・プランのもとでは排除された。信用乗数ははるかに小さいものとされ、準備率ではなく貯蓄率で決定されるであろう。

アーヴィング・フィッシャーが述べているように、「100%プランの本質は貸付から独立した貨幣を作ることである。すなわち、銀行の業務から貨幣を創造し破壊するプロセスを分離することである。付随的な結果にすぎないが、銀行業はより安全でいっそう有益なものになるだろう。しかし断然、最も重要な結果はこれまで人類の経済上の大きな災厄であり、主に銀行業から生じた周期的なインフレとデフレを終わらせることで大好況と不況を防止することであろう。」

フィッシャーによると、貨幣創造は借り入れる借り手と融資する銀行の二つの意思の偶然の一致に依存している。ケインズは、流通する媒介物における揺れの大きな源泉としてこうした「二重の欲求」を嘆いた。なぜか。不況のときには、借り手は過剰な借り入れ状態にあり、より小さな利益見通しをもち、少ししか借り入れる意思をもたず、銀行は減損した資産を負い、貸し付ける意思をそれほどもたなくなる。共同して、彼らは貨幣の収縮を引き起こし、次いで経済循環における下降の深刻化を引き起こす。

シカゴ・プランは、政府証券を使った公開市場操作を通して貨幣供給をコントロールする目的で連邦公開市場委員会FOMCを創設した1935年の銀行法の制定に影響を与えた。シカゴ・プランは1935年に、コロンビア大学のジェームズ・エンジェル教授によって容易に実行可能なように提示されたが、金融安定化を持続することに向けたその潜在的な貢献にもかかわらず、決して真剣に考慮されることもなく雄弁なアカデミックな解釈のままであった。

アーヴィング・フィッシャーはこう書いている。「私は、このプランが不況の問題を迅速にかつ永遠に解決するために、これまで提案されたなかで最良のものであると信じるようになった。なぜならそれは好況と不況、双方の主要な原因を取り除くだろうからである。」

貨幣創造が唯一、政府の特権になったとき、そしていかなる貨幣代替物も許容されないとき、貨幣供給のコントロールは銀行による貨幣創造のシステムにおけるよりも容易になる。フィッシャーとサイモンズの両者は貨幣供給量をコントロールし、ドルの価値を安定化させる固定した規則を提案し、強く裁量権を否認した。彼らは、最終的な貨幣のインディケーターを決定しなかったが、にもかかわらず、いくつかのインディケーターを定式化した。そのうちのいくつかは満足のいく貨幣供給の固定したルールとして機能しえた。

シカゴ・プランの強力な支持者には、モーリス・アレとミルトン・フリードマンがいる。両者とも裁量的なルールを批判し、実体経済の成長と年2%の軽度なインフレに沿った貨幣供給の伸びをセットすることよりなる固定したルールを望んだ。フリードマンよりもさらに、アレは100%預金準備の支持者であることを公言していたし、当座預金勘定向けの100%リザーブの銀行業務と融資活動向けの投資銀行業務との銀行業務の分離を支持していた。

彼は銀行の貨幣創造から銀行にもたらされるシニョレージ(注:貨幣発行益)が政府に引き渡され、減税が可能になることに注目した。アレは証券化、ヘッジファンド、複雑な信用デリバティブズのような金融革新がレバレッジを増大させており、貨幣代替物を倍増させ、信用の拡張と収縮を通した貨幣の創造と破壊の力を強め、金融システムが不安定性にきわめて傷つけられやすくしていることを指摘している。

彼は株式市場の厳しい規制と、ただ実体経済の活動を不安定化し、なんの貢献もしない(例えば、ヘッジファンドのような)投機資金の廃止を要求している。彼は、前連銀議長のアラン・グリーンスパンを、ヘッジファンドを救済したとして批判している。そしてこうした救済が長期の金融の安定性にとって有害であると見なした。

1970年代央以来の強度を増している金融の不安定性の再発、最も進んだ金融システムの増大する脆弱性、そして巨額の社会的コスト、持続することが課す不公正、増加する企業救済は高名な経済学者が発展させた改革の武器庫と、不安定性を防ぎ、好調な経済成長や物価、為替相場の安定を保障しうる金融改革の手段に舞い戻ることを必要不可欠なものとしている。

シカゴ・プランは大恐慌への回答であるが、最良のプランであり続けており、それがないところでは、金融の不安定性は避けがたい。ハイマン・ミンスキーが「安定性は不安定である」と述べているが、それには金融が安定している時期には金融不安が続くことが含意されており、それは本質的に、シカゴ・プランとフィッシャーの書物で分析されたのと同じ理由でである。

今日、われわれは政治的サポートや現在の中央銀行改革の必要性を認識することで、シカゴ・プランからはるかに離れたところにいるが、金融及び経済の不安定性の頻度や強度が圧倒的になっていることは明白である。かつてサイモンズが、そして最近アレが記したように、貨幣上の不確実性は非常に巨大に成長し、大きな所得再分配や価格のひずみ、顕著な信用及び市場リスクをもたらし、価格や産出高の合理的な予測を不可能にしている。

ひとつ実例として、原油価格は、07年8月のバレル当たり65ドルから08年7月にはバレル当たり147ドルにまで爆発した。そして今月、バレル当たり100ドル以下に急落した。同様の揺れが為替相場、ゴールド、その他コモディティでも、また同様に住宅価格でも見られるのである。

1935年の銀行法はFOMCに貨幣供給をコントロールするように要請した。しかし、1965年央以来、FOMCは主に金利をコントロールし、通貨供給量のコントロールは放棄してきた。その結果、貨幣を創造し破壊するというはるかに大きな役割は銀行システムに任されてきた。

大恐慌と現在の金融危機は二つとも、金利ルール適用可能性に敵対する有力な証拠であり、システミック・リスクを示し、莫大な経済コストと金融上のカオスはこのルールから出てきている。対照的に、1950年から65年に経験したような金融の安定と好調な経済成長はこの時期、連銀が直接銀行の支払準備金を管理していたので、通貨供給量の安定によってもたらされた。同じ流れで、連銀総裁のポール・ボルカーが1979年から1982年、銀行の支払準備と通貨供給量を規制した後でだけ、インフレは止むこととなり、金融の安定性が回復した。

ファニーメイやフレディマック、ベア・スターンズ、ノーザン・ロック、カントリーワイドの多くの金融大手の失敗やその他多くの機関の資産価格下落、中銀の融資機関への乱用的な償還請求は金融機関の誤った経営に責めを負わせることはできない。これらの金融機関は中銀が決めた誤った政策の犠牲者であった。いま、かつて以上に、シカゴ・プランが甦る必要性がある。おそらくその完全な実施ではなくて、少なくとも安定化のために要請されるその基本的な原理と通貨政策を縛るルールである。

現在の動揺した中銀の政策の文脈では、潰すには大きすぎるとみなされた長い歴史をもつ機関でさえ、金融の不安定性にあまりに傷つけられるようになる。規制の前面に出て、増加した貨幣代替物を削減しなければならないが、また厳格な限界のなかに通貨量をコントロールすることに戻り、通貨上の規律を回復しなければならない。加えて通貨の安定性を回復し、シカゴ・プランのもとで要求されたような、貨幣の過剰な拡大や収縮を引き起こす銀行システムの力に決まったルールで限界を設けることだろう。そして質の高い生産的な投資に直接融資することであろう。

もう、経済成長と雇用創造が中銀の主要な義務であり、金利ルールはあらゆる経済的疾病の万能薬であるという謬見から離れるときである。経済成長を刺激するために金利をへたにいじくり回すことで、中銀は引き替えに投機バブルや過剰な債務、債務不履行、数百万の住宅差押え、金融部門の崩壊、インフレ的な企業救済のかたちで予想せざる諸問題を作り出した。

スタグフレーションを引き起こすことで、中銀の経済成長の目標は自滅的なものにもなった。中銀が通貨の諸条件を再建し、貨幣創造のプロセスを直接的コントロールを回復すると決めるまで、経済的苦痛と金融上の混乱は続くであろう。

シカゴ・プランを引っ張り出して、第二の様相をもたせる時である。

・・・引用終わり・・・

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