2008年5月30日金曜日

コミュニケーションの全球化と衛星ゲットーあるいはスカイプゲットー

コミュニケーションのグローバル化が却って人々の非寛容とゲットー化を促進する事例を読む。

http://www.resetdoc.org/EN/Skype-ghetto.php

こんな話だ。

フランスに移民してきた父親は7年前は家族と話す手段がなにもなかった。しかしじぶんの移民生活は根本的に違っている。Skypeやモバイルで、ほぼ毎日家族と話せる。親類や友人とは
メール、音声メール、テキスト・メッセージ、写真、ビデオを共有できる。こうしたコミュニケーションのグローバル化を活用することで非寛容さとゲットー化が進むというのだ。移民は毎日、自国からの衛星放送をみている。それは移民の移民先への統合を阻害するというわけ。

たしかにコミュニケーション手段は進歩した。それが人間とその関係の拡充につながると期待した時代もあっただろう。しかしいま、却ってタコツボ化を生んでいるのではないか。ゲットー化したなかでの濃密な関係と閉鎖性、そして変わらなさ。

たとえば、私自身、SNSサービスというものを利用しているが、そこでウスウス感じていた、事の裏面というものをこの記事をみて感じた。

2008年5月14日水曜日

期待

本日は若い人たちと会う、話を求められるが突っ込んだ話はやめる。

みな優秀でじぶんたちのなかからオリジナルなものが生まれてくると信じているようにみえて頼もしい。若いうちは、鼻っ柱の強いほうが仕事を成し遂げるだろうし、強い自己確信も必要なことだ。

しかし下記の箴言があたまをよぎったので、老人の話はそこそことする。

帰宅し、どんな言葉だったか思い出すためにネットで辞書を引いてみる。

あった、あった。下記に貼り付けてよいものか迷うが、まあお許しいただこう。

Nihil est in intellectu, quod non fuerit in historia, et omne, quod fuit in historia, deberet esse in intellectu.
"Nothing is in intellect which has not been in history, and everything that was in history should also be in intellect."
Tell a Friend-Gustav Spet, Wisdom or Reason, 1917

歴史のなかになかった知のなかにはなにもない、そして歴史のなかにあったすべてはまた知のなかになければならない・・・か。

つまり・・・・

まあ、語っても蛇足となるか。

新規な中身のある、歴史のなかになかった知の生まれるを期待していたい。そしてでき得れば歴史に関心をもつ人の増えることを。