2009年1月28日水曜日

「確信の危機」

ウォール・ストリート・ジャーナルで、ロバート・J・シーラーの一文を読む。

「血気は信用に依存する:提案された刺激策は信用を回復するほど大きくない」

という議論。

たしかに、オバマの8250億ドルの景気刺激策で経済が回復するとは思えないという議論はよく聞く。これだけ信用危機が深刻化し、人々が安全な現金保有に逃げているとき、経済への信頼感が回復しなければ、経済はよくなりようがない。

人々が短期的考慮にしばられず、「自生的な楽観」(ケインズ)に立ち長期予想に注意を向け、新投資に向かう血気が回復するには、シーラーのように、金融市場への一層の支援、現在よりさらに大型の財政刺激が必要かどうかには議論が分かれるが、信用の回復が必要なことは大方の異論のないところだろう。

危機のときほど、臆病なマネーは安全を求め、流動的であることを望むものだ。

まことにケインズが『一般理論』の投資誘因論でいうように、「個人にとって自分の貯蓄を保有する代わりの方法があるかぎり」、つまり貨幣というかたちでその富を保蔵する選択肢がある限り、長期の確信の状態が不確かで確信がもてぬときほど、非流動的な投資物件の購入ほど見送られ、人々は自分の投資が十分流動的であると信じ込めるほど市場条件が改善される日を待つしかないものだ。

確実に私たちは、「なにか積極的なことをしようとするわれわれの決意」が持てない状況にいる。こういう状況は
現代の投資市場の光景を見て、私は時々、投資物件の購入を、あたかも結婚のように、死とかその他重大な原因による以外には解消することのできない恒久的なものにすることが、おそらく今日の害悪を救う有効な方策となるであろう、という結論に駆りやられた。なぜなら、このようにすれば、投資家は長期予想に、しかも長期予想のみに注意を向けざるをえないからである。
とケインズが告白した状況と同様であろう。

人が長期予想を考慮し、その数学的期待値に依拠する活動を抑えざるを得ない「確信の危機」を救う急進的な救済策にケインズは言及している。それは非常に抑制された言い方ではあるが、「貨幣保蔵の社会的危険を強調した人たち」を思い起こさせるものだ。

それはおそらくゲゼルなどの貨幣改革が念頭に置かれていたにちがいない。個人が将来への危惧に襲われたとき、「その所得を消費にも投資にも支出しないことが許されているさいに生ずる悲惨で累積的で広範な影響」を回避する手段が要請されているわけだから。

貨幣に持ち越し税の負荷をかけるゲゼルマネーもその一つであろう。それは人々に長期予想に注意を向けさせる効果があるだろう。

ただし、ケインズが、「貨幣保蔵の社会的危険を強調した人たち」は、確信の危機のような状態が、「貨幣の保蔵になんの変化もなしに、あるいは少なくとも貨幣保蔵に著しい変化もなしに起こりうるという可能性を見逃していた」と指摘している点は留意されてよい。

今日の事態は貨幣保蔵のゆえに引き起こされたのではなく、それは危機の成り行きにおける反応あるいは結果であり、それがまた危機を深刻化させるという性質のものだったからだ。

そこで問題は自明の次元に舞い戻る。人間本性が、「数学的期待値に依存するよりも、むしろ自生的楽観に依存している」とすれば、人々に楽観と血気という「不活動よりもむしろ活動を欲する自生的衝動」を回復させるものは何であり、そのためにはなにが必要か?と。

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