2009年1月29日木曜日

秌とはちょっと馴染みのない漢字である。

「シュウ」と読む。

もはや金融危機の始まった昨秋も過ぎ行き、経済危機にまで深まる冬だが、この漢字は秋と同じである。しかし、秋というとautumnと同じとすれば、枯れ葉散る秋のイメージしか伝わらない。今が全盛の方には秋とはたんに美しい紅葉を愛でる季節かもしれぬ。

しかし、秋といえば、重要な時節、危機迫るときも意味する。昨秋はまことにそうであった。栄えに栄えた、例えば自動車メーカーは凋落の危機のときである。

この秌という漢字はそれをうまく伝えてくれているように感じられる。

為永春水は、天保4年に、『春色梅児誉美』巻の十の前書きで、
義理と道とにそむきても、美衣(よききぬ)を着てひけらかし、出世と思ふ人でなしも、姿の花の色ざかりに、よしや一度(ひとたび)栄ゆるとも、凡(およそ)生(いき)としいけるもの、浮世の秌にあはざらめや。身につゞれをまとふとも、心清きがめでたくも、尊(と)ふとき人といふなるべし。
と書いた。

誰もが好況のときそれを謳歌する。しかしその盛りのときに危機のタネが芽生え成長する。過大な資金需要に債務がふくらむ。世は栄え、まことに「姿の花の色ざかり」のていとなる、しかし、いま信用は収縮し、債務の重荷が重くのしかかる「浮世の秌」である。

春水は、「心清きがめでたくも、尊(と)ふとき」というが、これは老婆心が吐かせる言葉だろう。現実はその正反対なのだから。たしかに危機はひとに消費を控えさせ、清貧へと押しやっている。だがそれは強いられたものだ。強いられた清貧や忍耐に清く貴いものが果たして芽生えるか。

成長し続けなければもたず、環境に負荷を与え続けねば存続しえない経済のしくみそのものへの懐疑が果たして芽生えるか。危機にもし効能あるとせば、危機のもたらす惨状と引き替えに、それくらい手に入らねば救われない。

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