2009年1月31日土曜日

時の用

信用収縮がなかなか止まない。そんな折、いつも思い出す言葉がコレ。
借銀(かしがね)時の用には立難し
井原西鶴、『萬の文反古(よろずのふみほうぐ)』、「明て驚く書置箱」にある。ここで借という字を使っているが、貸し手の立場から「かしがね」と読んでいる。

金融貸借が積み上がり、利回りの計算にアタマを使い、悦に入り、という人も今般の金融危機では契約を解消し、安全な現金に逃げたいと考える。みながそうなると経済はたいへんなことになる。しかし個人には、イザとなったら役に立ち、当てになるのはキャッシュ。

「明て驚く書置箱」では、ある人が死んで書き置きの箱を残された者たちが空ける話で、遺産分けを題材としている。

そこで、「いづれ人の身代は死なねばしれぬ物に御座候」とあり、あの人は金持ちだ、どうだこうだと周囲は噂するわけですが、死んでみなければその身代は分からんという話。まことにカネにまつわる話は「書置箱」を開けてみないとわかりません。金融危機の疑心暗鬼も「知れぬ物」をあれこれ推測するしかない人の常。また、知れたら知れたで危機が深まる。

上記のことばは、明快な貨幣と信用の真理を表現しているようにみえる。

書置箱からは、手形類もでてくるのだが、キャッシュのほうをとった者が勝ちなわけ。いったん貸したカネはその証文がいくらあっても、先方が返してくれなければどうにもならない。高額の取り立てコストを負担して「切取屋」に頼んだり、第三者で購入してくれる人をさがさなければならなかったり、・・・。

時の用に立つ現金選好は貨幣保有の諸動機の一つでありました。

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