2009年2月6日金曜日

投資誘因論の教え

いま経済危機は企業がどこも軒並み赤字決算で、実体経済への深刻な打撃が進行中の第二幕か。

同時に欧米では特に、第一幕での金融危機の犯人があたかも被害者のごとく「救済」処理の最中。これからの先行きをみていくにも、これまでの展開も忘れないようにしておきたいので、昨年、利用しているSNSに書いたことをここに貼り付けておこうかと思った。

・・・

金融経済の暴走、実体経済の悲惨、前者の後者への優位という言い方は私自身するが、それは古典が教えてくれた文脈で解釈している。

ここで古典とはケインズの『一般理論』である。

その投資誘因論を読めば、今般の危機は実に明瞭に把握できるし、必要な対策はなにか、答えがちゃんと出ている。経済に関心がある人間なら若い頃に一度は一般理論を読んでいるだろう。それを思い出すだけでよいのだ。

もちろん、現今の状況にかつてと違うところもある。しかしそれも基本を押さえなければ、理解されようはずがない。

昨今の状況はまことに、投機家が市場利子率で無制限に貨幣を手に入れることができるに違いないという投機家の確信の状態が崩れたことを示している。それを暗黙のうちに想定する投機家はもちろん正しくないとケインズは指摘していた。

そうして確信の状態のもう一つの側面、信用の状態も考慮にいれるべきとしている。

これらふたつのうち、いずれかが、弱体化したとき、株式の暴落が引き起こされるというわけだ。しかし回復には両者が持ち直す必要があると指摘していた。
信用の弱まることは暴落をもたらすのに十分であるけれども、それが弱まることは、回復にとって必要条件ではあるが、十分条件ではない・・
こうした議論をふまえて、次の投資誘因論の第6節が始まるわけである。

そこでは、投機と企業の関連が取り上げられていたわけだ。

投機=金融経済
企業=実体経済

としてみればそこでの議論はわかりやすい。
もし投機という言葉を市場の心理を予測する活動に当て、企業という言葉を資産の全存続期間にわたる予想収益を予測する活動に当てることが許されるなら、投機が企業以上に優位を占めるということは必ずしもつねに事実ではない。しかし、投資市場の組織が改善されるにつれて、投機が優位を占める危険は事実増大する。
情報技術の発展などで投資市場の組織改善は昔日の比ではない。くわえて金融市場はグローバル化してきた。投機が優位を占めるどころではく、カジノ資本主義にまで行き着いた。

企業は「投機の渦巻きのなかの泡沫」となってきた。その状況をいま私たちは見ている。ケインズとともに、資本市場を「新投資を将来収益から見て最も利潤を生む方向に向けることを本来の社会的目的とする機関として眺めた場合、ウォール街の達成した成功の度合いは、自由放任の資本主義の顕著な勝利の一つであると主張することはできない」といわなければならない。

まったく、「一国の資本発展が賭博場の活動の副産物とな」るのは認めがたい。

こうした状況を招来するのは、流動的な資本市場の組織化であり、ケインズはその避けがたい結果として、賭博場化をみていた。

こんにち我が国では、ふつうの庶民がPCや携帯を使い、デイトレーダーとなっている。「公共の利益のために、賭博場に近づきにくい、金のかかるものにしなければならないということは、通常人々の一致した意見である」。これはケインズがいうように「株式取引所についてもあてはまる」。しかし我が国では、「貯蓄から投資」のかけ声高く、証券税制は税を軽減しようとするばかりである。

ケインズのこの言葉をかみしめるべきではないのか。
合衆国において投機が企業に比べて優位である状態を緩和するためには、政府がすべての取引に対してかなり重い移転税を課することが、実行可能で最も役に立つ改革となるであろう。
人々がこうしたケインズの資本市場の社会化や資本の限界効率、投資誘因論の議論を思い出せば、事態は理解できる。

下記のような有名な文言は若い頃に多くの人が読んだはずなのだ。
流動性の崇拝、すなわち「流動的な」有価証券の所有に資産を集中することが投資機関の積極的な美徳であるとみなす教義ほど反社会的なものはない。それは社会全体にとっては投資の流動性というようなものは存在しないということを忘れている。
熟練した投資の社会目的は、われわれの将来を覆い隠している時間と無知の暗い圧力を打ち破ることでなければならない。今日の最も熟練した投資の現実的な、個人的目的は、アメリカ人がうまく表現したように「仲間を出し抜き」、群衆の裏をかき、質の悪い、価値の下がった半クラウン銀貨を他人につかませることである。
時間と無知の暗い圧力に抗して、資本の全存続期間の予想収益を確保するという社会目的を達成する熟練した投資こそが勤労とその成果の資本資産を社会的に生かす道で、資本市場はそうした目的を達成する社会化された場として機能していかねばならないのに、米国人は他人にババをつかませる詐欺瞞着の場にしていったわけか。

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