2009年5月14日木曜日

1930年の楽観論

世界経済の先行きを楽観的にみる強気の人が増えている。株式は実体経済の実情をみればとても支えきれない水準に上げ、カネはコモディティにも向かい始めている。渡辺夫人もFXにもどってきた(^_^)。

しかし、相場のことはしょせん後になってみなければわからない。そのときその場の当事者はしかし、なにを考えるのか、意外に人間はタフで懲りないのを特徴とするようにも思う。そうであれば人様のことをあまり心配するのも無用のお世話ということになる。

ちょうど米国のplanetMoneyというサイトの記事「1930年の楽観論」をみた。こんなふうに書いている。

1930年の一次資料に戻って驚くのは楽観論です。誰もが物事はとにかくステキだと考えているという含みを持たせているわけではないですが、30年代の経済が最悪だった10年間に直面したことをあなたは知っているのに、彼らはそうではなかったのです。彼らは第一次世界大戦に続く景気後退より以上のなにかを期待していました。人々は支出を削減しましたが、それでも使っていました。とくに企業が在庫を減らそうとして価格を大幅に引き下げていましたから。後に続いたのは長期にわたる我慢と第二次の銀行危機でしたが、それは癒えることのない傷跡を残し、それは経済状況と株式市場に現れましたが、私たちが好んで想像するようなたんなる一直線の衰退ではなかったのです。

大恐慌というと私たちは、後からそれを知る立場にあり、よほどひどかったという情報や解釈をインプットされてきた。確かにそうなのだが、それはしょせん相場と同様、後になってわかるたぐいのこと。当事者は違うのかもしれない。人はそのときの期待や心理、楽観に雷同する振る舞いのなかで今を生きるということか。

そうして結果が出てしまえば、終わったこととなり、次の今日と明日へと関心が移る。結末の不幸も時の経過の一コマとしてすばやく消化され、忘れられていく。

まったくタフである。

そうでなければ生き抜けない世界であることも確かか(^_^)

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