2009年6月14日日曜日

共に感動

compassionateっていうのは、哀れに思ったり、同情したりということだと教えられるが、どうもそういう日本語ではカバーできない意味があるようにも思う。そこで共に感動するとか、それこそニーチェの「共苦」といったほうがよいのかなと。

ベジタリアンで知られるJoanne Stepaniak(ジョアン・ステパニアクというのかな?)はこう言っていた。

十分に共苦するようになるために、私たちに必要なのは、目と心を開き、私たちの文化があいまいに隠している痛みと搾取を見つめて、衰弱した感情を喚起し、私たちの自我を超えて上昇することです。

私たちはそうした共苦する存在として、それにふさわしいケイザイを持てるのか、作れるのか考えたいし、行動してみたいと思う。

iWATはそうした共感動のツールとして運用されている。

1 件のコメント:

a1m さんのコメント...

とはいいながら、

「情けは彼方此方(あちらこちら)の違ひ」(西鶴)

でもあるので、その程度の違いの織りなしにいろいろあるわなあと。