2009年7月16日木曜日

しにいちばい(死一倍)

作業が終わって一風呂浴びて、もうこんな時間か。

どうもアタマがまだ興奮しているので、ちょっと昔の本を手にとる。金融商品に関する議論を扱っていてアタマの片隅に浮かんだということもある。

西鶴の「本朝二十不幸」巻一の初めにある話だからよく知られているので、さして書く程のものではないが・・・。

しにいちばいの話だ。一種の手形貸付の例なのだが、いちばいとあっても1を掛けて同額ではなく二倍になる。親が死んだら遺産が入り、そのときは倍にして返すという約束で借金することをいう。

「抑(そもそ)も死一倍、金子(きんす)千両借りて其の親相果(あいは)つると、三日(みっか)が中(うち)にても二千両にて返すなり」

というもの。

「手形は二千両の預(あずか)りにして」とあり、二千両預かったという手形を貸し主に渡す。借りている期間の利息は当然つくが、それは貸付の時に取られてしまう。

「小判一両、月一匁の算用(さんよう)に、一年の利金(りきん)ばかり首(はじめ)に取るなり。」

という具合で、一両に月一匁の利息一年分が借りたカネからを差し引かれる。

つまり「千両の二百両減(ひ)きて八百両にて渡しける」である。

まだ若い息子が歳をとったふりまでして親が歳をとってからの子で親は高齢、「長う取って五年か三年」と金貸しに云ってカネを借りる。

しかし、借金の間に入った取り次ぎが百両、やれ手代への礼が二十両、交渉への協力者に二百両とか、次々間に入ったものにたかられ、取られてしまい、千両の借金のはずが手元にろくに残らない。そうして周りにいた人間はカネが手に入ればいなくなってしまう。

けっきょく親にはやく死んでくれと神頼みするようになるが、みなカミサマは長寿を願うところだから、願いをきいてはくれない。そしてとうとう毒薬を飲んで死ぬことになる。まことに親不孝に追いやられる顛末なのだ。

金貸しは親が死ぬことに賭けていたが親より先に借り主の子が死んでしまえば、カネの取り返しようがない。現代であれば子が死ぬリスクを引き受けてくれるCDS(クレジットデフォルトスワップ)のようなクレジットデリバティブを契約しておけばよいのだろうが、破産リスクや死亡を種に金融の仕組みを組み立てることは昔からあったわけだ。笑えぬ話ではある。

この話の末尾に、

「欲に目の見えぬ金(かね)の貸手は今思ひ当るべし」

とある。

やれやれ、昨今の金融経済危機、金融業者は「思ひ当るべし」か(^_^)。

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