2009年7月28日火曜日

ダグラス主義回顧(1)

ダグラス主義者は貨幣がコモディティではなく、チケットであるという見解を理解する次元にまではたどり着いた。しかし、コモディティという言葉でなにを理解すべきか理解されていないようにみえる。ゲゼルやソディの議論に立ち入るべきなのだが、その手始めに、B. Bjørsetの一文から始めるか。若干ソディ理解に誤解なしとしないが。

「ソディ教授は貨幣を”仮想的富”と呼ぶ。いわば富の外観を有するだけのなにかなのである。貨幣の保有には富に対する請求、財やサービスへの権利が含まれるが、貨幣それ自身は富ではない。・・・もし我々が貨幣と富が同じであると仮定するなら、地球上の豊かさはエネルギー資源の総量や植物、コモディティー、さらに現存のあらゆる貨幣からなるとの結論に達しなければならないが、これは不条理である。明らかに世界の富は財や植物や現存のエネルギー資源よりなるにすぎない。貨幣が指し示すのはただ、こうした富の一定量への権利であり、ある保有者から他の保有者へとそれを移転する手段である。それゆえ、ソディ教授は我々に要請する。世界のバランスシート上に、資産として存在するあらゆるエネルギー資源、財、機械類を記入するように。貨幣は一種の証書であり、これらを権利者の間で配分する手段であるが、別の欄に記載されねばならない。バランスシートの債務欄にである。そうして我々は貨幣の役割の定義にたどりつく。それは財やサービス、エネルギーにとってのチケットシステムとして役立たねばならず、その総量は利用しうる富にきっちりと対応しなければならない。その他のすべての考察はこのきわめて重要な機能に従属しなければならない。」

0 件のコメント: