2009年8月16日日曜日

たまたま得た一衣

たまたま得た一衣

社会的な事業をしたい、そう願い行動する人はたしかにいる。そこで問題となるのは資金だ。

新興宗教まがいのノウハウまで動員してカネを集 める向きもあるが、多くは行政の支援を仰ぐこととなる。つまりは、もとをただせば、国が税として集めた人々のカネを特定の事業に支援金として支出してもら うわけだ。もちろんとくていのスポンサーを見つけて手当するケースもあるだろうが、民ー民よりも、民ー官ー民のほうが多いだろう。

一人一人の個々人の浄財にたよる手もあるが、なかなか難しい。じぶんのカネは一銭でも出したくないのが人情だから。またこうした心情は金持ちほど強いもの。

しかしモノは考えよう。

尊徳翁の話に、八人暮らしの貧家の話がある。

「八 人暮しの貧家が、たまたま一枚の着物を得た。一人がこれを取れば七枚分足らない。そこでこれを祖父に献じた。祖父は、「老骨がこんな新しい着物を着る必要 がない。」といって、長子に与えた。長子はこれを弟に譲った。弟は又これを甥に推し譲った。ついに七人をもれなく回って、みな辞退した。すなわち、これを 取れば七衣が足りず、これを譲れば一衣でも余りがある。」

すでに積み上げたカネを取り崩して、よろしき試みに費やすのは至難とすれば、新 規にプロジェクトをなすにつき、そこで得た補助金のたぐいは「たまたま得た一衣」と考える。ふつう補助金はプロジェクト参加者が使ってしまう。そのなかに は人件費もある。しかし、その報酬分を辞退するか、あるいはプロジェクトに支出ないし投資することはできないかと考えてみる。

というのも町作りの現場では、呼び水としての資金が呼び水として機能しない事実をよく見てきたから。そこでえた報酬をわずかな利を生む町作りのプロジェクトに投資する、あるいはプロジェクトへの参加金として寄付するぐらいのことはできないものかと思う。

もちろんこれを可能にするようなプロジェクトの仕組みづくりも大事だが。

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