2009年9月26日土曜日

最近また、仕事のアタマ休めの時間に趣味の本を開くようになった。

たまに、趣味の方面の話を求められることもある。日本近世がすばらしいモデルなのだとおっしゃる。なんだかよいとなるとなんでもかんでも褒めちぎり始める人が多いようだ。そうしてたいがい、そういっていたことをすぐ忘れる。よろしくマイブームにすぎない。

たとえば俳諧の連である。民衆の自在なネットワークのごとく語り、すばらしいという。そこまで言われるとひねくれ根性が出て、ほんとにそうだったんですかと言ってみたくもなる。

為永春水は『春色梅美禰』(天保三年)で、「俳諧者流の徒(と)」が、「社中と称へて連(れん)をなす事」につきこう言っていた。

「今は社中は朝(あした)に断金の交りを称へ、夕に寇仇(あだがたき)の如き行ひあり。嗚呼歎かはしいかな。社中の名あつて社中の好意(よしみ)少しもなし。それ俳諧は其徒(ともがら)に狎(なれ)やすくして、心底和らぎ睦しくなるものにはあらず。」

断金の交わりとは易経にある言葉、金をも断つほど固い友情をいうが、朝にそれを言ったかと思えば夕べには敵や仇のように言うといっている。

持ち上げられるほどの人のネットワークや社中のよさも確かにあったのだろうが、結局、人間、いつの時代も変わらないのか、反面、反目するのもはやい。「よしみ少しもなし」という面もあっただろう。

そうした人情の実際を見ておかないと事において間違えるかな。

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