2009年10月23日金曜日

複利

フレデリック・ソディは、金融上の契約がもたらす収益と実物財の生産増との非対称性を厳しく分析しているのですが、複利の問題につき興味深い議論をすでにA.A.クールノーもしているんですね。

Traité de l'enchaînement des idées fondamentales dans les sciences et dans l'histoire, 1861 (Œuvre complètes, Tome III)の478項にありました。

「困難の根源に立ち入るならば、まさしく複利の法則が部分的にかつ限界あるかたちでしか受容されないとき、それを人が非常に大きな範囲にまで適用したいと望む場合は幻想でしかないということである。例えば、公債の償還をなすような場合がそうだ。・・・複利で公債につぎ込まれた資金、それが生み出した創造を絶する金額は精神の戯れだ、算術の教室に放り込んでおけ。・・・実質資本は幾何級数的には増大しなかろう。一般に幾何級数は観念のなかでしか存在しないものだ。複利の法則が広範に適用されるならば、そして、経済学者が銀行家のように計算を立てるならば、樹木を完全に伐採することは私的利益であると同様に公的利益でもあろう。なぜなら、伐採された樹木は、鍛造された鉄やはり、厚板のようなかたちで実質資本に変換され、一年後にはより大きな利益を、さらに2年後にはいっそう多くの利益を、そして以下同様に、幾何級数的にもたらすであろうからである。

こうしてわれわれは樹林を切り倒すことで、我らが子孫に途方もない未来を手に入れさせることになるだろう。それは事物の自然に逆らうことである。しかしそれでも(交換価値という抽象的観念や交換の用具としての貴金属に基づく)経済・商業のシステムが構成されることになる。それは各人が自分や仲間たちの利益のゆえに、社会総体にとってはおぞましい幻想でしかない計算を立てうるということだ。しかも、行動基準としてこれを転倒するためには、行動規範に違反する仮説がもたらすでろうことを理解するので十分であるから、今日の事例の物質的与件のあら捜しをしたり批判したりするのは無用である。」

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