2009年12月27日日曜日

シュヴァーネンキルヘンの奇跡

シュヴァーネンキルヘンの奇跡
J. Henry Buechi, Free Money, 1932, pp.191-195

シュヴァーネンキルヘンはバイエルンの山中、鉱山と農業の村である。いま、このおよそ一年くらいだが、ドイツじゅうからマスコミのレポーターが住民たちのなかに舞い降りてきた、いやむしろ登ってきたというべきか、住民たちにインタビューするためにである。下記は住民たちが語った話である。
 シルビオ・ゲゼル(帝国銀行にこの7年間、インフレの混沌がもたらす脅威について警告してきた男)の理念はドイツ、そしてスイスじゅうに広まった。国民の一部、またシルビオ・ゲゼルの支持者たちは実践で彼の理論を論証しようとしたのだ。彼らは特別な協会を設立し、会員に法定通貨による支払いに対抗して自由貨幣の形態の紙券を発行した。これは、ヴェーラ、すなわち「永続」と呼ばれた。その輪に属する取引者はマルクの代わりにヴェーラを受け入れるんだといい、同じ協同関係の会員のたばこ屋にいき、支払いにヴェーラで支払ってみせる、もちろん、これみよというように。他の消費者はこれに気づき質問するというわけだ。こうしたデモンストレーションはどんな説明よりも説得的だ。宣伝もうまくいくわけだ。ところで、こうしたヴェーラの紙券の特質は毎月、額面の1%のスタンプを貼らなくてはならない(このスタンプも協会が発行する)ことだ。つまり、年間の流通に係る料金は12%になるわけだ。前章の読者はこの意味がわかるだろう。
 会員の一人がたまたま石炭鉱山を保有する鉱山技術者であった。彼は破産した企業を非常に低価格で購入したが、安い値段で買収したにもかかわらず、運転資金がなかった。偶然、ヴェーラの潜在力に気づき、友人たちと交渉を始めた。鉱山の保証で信用が付与されることが決められた。
 彼は家に戻り、労働者を雇い始めた。喜んで労働用益が提供された。村にとって鉱山はただ一つの産業であったので、その繁栄と堅く結びつくほかなかった。村民はみなほとんど文無しの状態だった。というのも鉱山は数年来閉鎖された状態であったし、小農場が彼ら全員を養えるわけではなかったからだ。しかし彼らは賃金がヴェーラで支払われると聞いて喜ばなかった。彼らは肉屋やパン屋、ろうそく製造業者が肉やパンや獣脂の支払いにヴェーラの紙券を拒否するのではないかと恐れたのである。そして彼らは正しかった。困難はある小売店が労働者の必要とするものを提供すると約束することで解決された。労働が始まり、週ごとに労働者が増えていった。
 商店主たちは労働者が買い物にこなくなることを恐れて、鉱山の所有者に会い、新しい貨幣についての説明を求めた。彼らはヴェーラの受け入れを納得し、彼らがヴェーラを使えないときは、協会が彼らのヴェーラのプラス分をライヒスマルクと交換すると約束した。それでヴェーラは受け入れられ、最初のショックが過ぎ去ると、毎月末の夜に、彼らが保有する紙券にスタンプが貼付されるようになった。取引が再び活発になり、労働者と業者たちはゲゼルを讃え、この村にヴェーラを導入しようと考えた協会を賛美したのである。鉱山は成功していった。シュヴァーネンキルヘンの村と近隣の集落は完全に満ち足り、幸せな村となった。遊休状態と欠乏を強制された日々は忘れ去られていった。
 そうしてこれは帝国銀行を「ぎょっとさせる」ところまでいった。協会員たちはこれが法律に違反しないような方法で行われていることをかなり賢くみせようとしたが、帝国銀行は政府に対策をとるよう依頼した。そして特別な緊急立法が公布されヴェーラは禁止された。付け加えておくべきは、好意的な人たちの助けでヴェーラが回収された後も事業への融資は続けられ業務はいまだ継続していることだ。
 経済学者にとってのこうした経験の利益は貨幣が合法的な状態になくとも、また内在的な価値が欠けていても、年に12%のスタンプが必要であってさえも、その国の、認知された、また金準備で裏付けられた法定通貨を短いうちに追い出すことができるという事実である。こうした競合は、先の章で述べた中世の悪貨の事例を明確な仕方で確認するものである。

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