2009年3月31日火曜日

バンク・オブ・ノースダコタ

Mother Jonesが、米国で唯一、州が保有する銀行、バンク・オブ・ノースダコタを取り上げている。それは今世紀初めの農業者たちのポピュリスト(訳注:人民主義とでも訳せるかな)運動の成果であり、金融市場に対する農民の怒りの結果として成立した歴史をもっている。

マザージョーンズ:どのようにしてその銀行は作られたのですか?

エリック・ハードマイヤー:90年前に作られました。1919年です。人民主義者の運動が北部平原を席巻したからです。基本的に、それは農業部門の大きな集団による怒りの運動でした。東部の市場でなされていた決定をひっくり返したのです。たぶんミネアポリスやニューヨークにあった金融市場が、誰が融資を受けて、どのように彼らの産品を販売するかを決めていました。それで運動は北部平原を吹き荒れたのです。ノースダコタでは運動はノンパルチザン(訳注:党利党略に縛られないという意味かな)リーグと呼ばれました。そして彼らは立法府を握り、産業政策を立案しました。それでバンク・オブ・ノースダコタや農民と穀物を売買する州保有の製粉工場とエレベーターができたのです。この二つとも、90年前に出来たものがいまでも現存しているのです。私たちはほんの少しだけ手を加え、ノースダコタ州を支援する分野と方法を見つけました。

貨幣を持つ者たちは生産者に金融権力を振るう。

生産者は収穫期は収穫期の集中による穀物の供給過剰で価格の低下を甘受し、作付け期には融資を求めるが、融資はこれまた時期的に集中し、高い借り入れコストを負担せざるをえない。

こうした生産者の弱い立場は資金の蛇口を握っている金融業者の思うつぼであった。

生産者に価格の決定権はなく、資金借り入れと高資本コストに悩まされる状況はポピュリストの怒りをかき立てたのであった。

生産者のとりうる対策は、二つ。

自分たちの信用機関をもつこと。

そして穀物貯蔵、加工の倉庫や工場をもつことである。

そうした取り組みがかつて米国にあり、それがこんにちまで続いている。その取り組みは金融権力に対する対抗の記念碑であろう。

ウォールストリートの金融業者たちが、世界を奈落に引きずり込んでいるとき、かつてそれに対抗し、怒りの声を上げた人々の記憶が甦る。そこには、金融危機からの脱出のヒントさえ見つけることができるかもしれない。ノースダコタの銀行が注目されるゆえんである。

大丈夫さ

リバタリアン系の論客のブログにみえる。「1兆ドル?問題ないさ」の皮肉が目に付いた。それにしても1000億ドル札を冗談でeBayで売り出す人がいるのも愉快だ。
オバマの1兆ドルまとめて支出するということへの回答は明らかだ。我々がしなくちゃならないのはジンバブエのように我々の通貨を働かせることだ。それで我々は元気になるだろう。我々は10枚の銀行券で1兆ドルを使うことができる(私はこのあいだeBayでちょうどひとつ買った)。

もちろん問題はオバマ政権が実際にするように見えることだ。

2009年3月30日月曜日

偽FTサイト

2009年3月27日金曜日

医師と銀行家

「金融部門の文化はなぜ変わらなければならないか」というThe compulsive theoristのブログ記事を読む。

そこで、医師と銀行家の文化を比較した部分に共感する。両者それぞれ、一方は患者の命運を握り、他方は経済の命運を握っているが、そのエトスが大いに相違しているというのだ。

然りと思う。

医師と銀行家は、医師ならメスをさっと動かすことで、銀行家ならマウスをクリックすることで間違いを犯すことが甚大な損害を与えうることで似ている。したがって両者とも損害のリスクと実施のコストのトレードオフを与える規制の対象である。しかし医師と銀行家ではその仕事の見方に極めて大きな違いが存在する。

おおむね医師は彼らの仕事の社会的影響を非常に深く気にかける。彼らのエトスは自分自身のためによい仕事をしたいというものである。なかにはお金をたくさん稼ぎたい者もいるが、その他の者たちは、スーパーリッチではないのに、よい仕事をする(欧州においては典型的だ)。そのエトスは医学校の一日目からかなり明白なのである。対照的に、銀行家は仕事の社会的影響を気にかけないか、時には考えさえしない傾向がある。基本的に異なったエトスであることは極めて明白である。あきらかにいくつかの例外があるので、医師を理想化するつもりはないが、銀行家を彼らと比較するのは文化における若干の相違を持ち出すためである。
医師並みにとは高望みしないが、銀行家のエトスの変わることを期待したいものだ。米国のコミュニティバンカーなど、医師に劣らぬ倫理性をもった人々もいないわけではないのだから。

シルビオ・ゲゼルのロビンソン物語

シルビオ・ゲゼルのロビンソン物語のまんがバージョンはすでに各国語に訳されていますが、このたびアレクサンダー・イワノフさんのご努力で、ブルガリア語バージョンが完成し、公開されました。

よろしければ一度、ご参照ください。

2009年3月25日水曜日

quote of the day090325 大恐慌に立ち戻れ

「真の金融崩壊にいるなら我々のモデルは役立たない。戦後を超えて大恐慌の経験に立ち戻るのが適切である。これができるのは質的で歴史的な分析によってのみである。現代の数値モデルでは金融システムの崩壊であるこの危機の重要な特質を把握できない。」(ジェームズ・K・ガルブレイス、「正常には戻らない」)

人口減少

人口問題は多くの人が回避したがる政治的に微妙な環境問題の側面をもっている。環境にプレッシャーを与えているのは人口爆発なのか経済成長なのか、あるいはそのいずれもか・・・。国連の予測では2012年までに世界人口は70億とされる。1999年に60億人であったから、10年で10億増えたことになるか。この趨勢は今後も続いていくのかと誰も考える。

そんな折、USA TODAYで興味深い記事を見た。「絶滅へ向かうのか?世界の人口減少が過剰人口よりもむしろ惑星全体に関係する厄介な傾向である」という指摘。こどもを持たないということが世界に広がっているようだ。貧困な地域ほど子だくさんというのは、子供が経済的資産であったからだろうが、いまや資産よりも「回避すべき責任」に変化する傾向が見られるという。世界の出生率はこの15年以内に低下を見せ始めるだろうと。そうなると、この惑星では、より少ない子供がより多くの高齢者をサポートしなければならないという状況に陥る。

この点では我が国は先頭を走っているか・・・

2009年3月24日火曜日

quote of the day 090324 新古典派

「新古典派経済学は市場経済の生来の安定性への信頼を促進することで、直接この危機に貢献した。実際、金融システムの不安定性への傾向を増大させる仕方でである。そのシステムにおけるすべての不安定性は市場それ自体よりも市場への介入に求めうるとの誤った信念をもって、金融の規制緩和と所得の不平等の劇的な増加を擁護したのである。」(スティーブ・キーン)

米国の財政崩壊

チョスドフスキーの議論「米国の財政崩壊ーーオバマ予算は米国を貧困化させるだろう。」をDeep Politics Monitor が紹介している。米国の2010会計年度予算に関した指摘である。喧伝されるような社会政策的な目的実現のための、投資と消費者需要を喚起するスペンディングとは正反対の、軍事と銀行救済に向けられた、市民からみれば緊縮財政になっていること、にもかかわらず公債の規模が拡大することを指摘している。

一見すると、予算提案は拡大政策、雇用を創造し社会政策を再建し実体経済を蘇生させる「第二のニューディール」に向けた外観を呈している。

実際はそうではない。オバマの約束は巨大な緊縮政策に基づいている。財政構造全体が破壊され逆さまにひっくり返っている。喧伝された、社会政策(健康、医療、住宅、社会保障)に関する公的支出の顕著な増加という諸目的を達成するためには大規模な公的投資の政策が要求される。公的支出の構成における変化もまた必要とされるだろう。すなわち戦時経済からの移行、軍事関連支出から市民向け政策への移行が要求される。

実際には、我々が扱っているものは米国史における最もドラスティックな公共支出の削減であり、何百万もの人々を社会的に破壊し窮迫させるかもしれない。

オバマの約束は主に、ウォール街や防衛産業、石油コングロマリットの利害に役立つ。同様に、ブッシューオバマの銀行「救済」は米国を螺旋的な公債危機に導く。経済的・社会的な混乱はもしかすると破壊的かもしれない。

2009年2月26日、議会に提出されたオバマ予算は2010会計年度(2009年10月に始まる)、3.94兆ドル、32%増の支出を考慮している。2010年の政府の総歳入は予算局の予想によれば、2.381兆ドルである。

(大統領のスピーチによれば)予想される財政赤字は1.75兆ドル規模で、米国のGDPのほぼ12%。

戦争とウォール街

これは戦時予算だ。緊縮予算が下記を除いた主要な連邦政府の支出政策すべてに打撃を与えている。

1、防衛並びに中東戦争。
2、ウォール街の銀行救済。
3、驚異的な公債の利払い。

この予算は租税収入を戦争へのファイナンスに転用する。金融エリートへの「銀行救済」のもと税金の詐欺的譲渡を正当化する。赤字支出の形は拡大経済ではない。我々はケインジアンスタイルの、生産と雇用の拡大に導く投資と消費者需要を刺激する赤字を扱ってはいない。

2009年3月22日日曜日

財担保型減価マネー

「どのような幸運があっても経済は回復しないだろう」という語り口で始まる、ダグラス・ラッシュコフの一文、LET IT DIE: Rushkoff on the economyを読む。

よい文章だ。そのなかに、18世紀米国の農民たちが活用していた穀物倉庫受領書であるローカル・マネーを紹介している部分がある。この時代の米国農民たちの運動は企業による金融支配に対抗するための共同の穀物倉庫建設の取り組みといい見るべきものが多いが、あまり知られてはいない。財担保型減価マネーの一例としても興味がもたれる史実ではある。

ラッシュコフはこう語っている。

古きよき時代に戻ろう・・・人々がお互いにビジネスをしあっていた・・・。

・・・

・・・1700年代に、米国の移住民は穀類の栽培を許されたが、それと一緒になにかをすることは許されなかった。例外はブリティッシュ・イースト・インディア・トレーディング・カンパニー(居留地のビジネスを手がけるために英国が認可した会社)に固定価格でそれを販売することであった。彼らはお互いに綿花を売ることを認められなかったし、あるいはさらに悪いことに、それから衣服を作ることを許されてもいなかった。彼らは法律上、英国に綿花を出荷するために支配されていたのであり、英国では別の認可された独占者が衣料を製造し、衣料は、彼らが購入する米国へと再出荷されたのである。米国人の独立戦争は英国に対する以上に認可会社に対する反抗であった。

この認可会社時代初期のもう一つの大きな革新は独占通貨であった。多種類の貨幣が使われていた。地域が自分たちの活動に再投資するのを助けた地域通貨、遠隔地の交易のための中央通貨。地域通貨は生存物で入手できた。農民はたくさんの穀物を育て、それを穀物貯蔵庫に持ち込み、彼が貯蔵した穀物がいかほどかを証する受領書を受け取った。この受領書は、一定の時期に穀物を必要としなかった人々によってさえ、貨幣として使用された。誰もがそれが価値があることを知っていたのである。

ローカルの、穀物ベースの通貨に関して興味深いことは、それらが時間がたつにつれて価値を失うということであった。穀物倉庫で人々は料金を負担しなければならず、雨やネズミ類のために失った一定量の穀物を支払う必要があった。したがって毎年貨幣は価値を減らしたのである。これは、人々にそれを貯蓄するよりむしろ費やすように奨励したのである。・・・

・・・

地域通貨はローカルな取引に好都合で、遙か離れたところで操業する大企業の利害に対立するように作用したのである。君主たちは自身の地位と、また認可された独占を確保するために、地域通貨を非合法としはじめた。そして地域通貨に代えて「王国の鋳貨」を使用するよう強制したのである。こうした集権化された貨幣は反対に作用した。それらは生存物で手に入らず、中央銀行によって貸し出された。このことが意味するのは、個人や事業に対して発行されたどのような貨幣も利付きで中央銀行に払い戻されねばならないということであった。

・・・

2009年3月19日木曜日

米国の国家債務

米国の国家債務が11兆ドルを記録したとのニュース。

2009年3月18日水曜日

融資は拡大している

FedのデータWSJが言及している。なんで増えているのかな。

最近の銀行はビジネスに融資していないというレトリックとは逆に、今日のデータは融資の堅実な伸びを示している・・・

2009年3月17日火曜日

クレジットカードのデフォルト

ロイターの記事によると、米国では、クレジットカードの損失処理が増加しているようだ。

2月、クレジットカードのデフォルトがこの20年来、最高の水準に上昇。損失はアメリカンエキスプレスやシティグループにとってとりわけ厳しいと。

AmExはその純損失処理率が1月の8.30%から2月には8.70%に増加。シティグループは前月の6.95%から9.33%に。チェースは5.94%から6.35%に。Capital One Financial Corpは7.82%から8.06%に、と。

アナリストの見積もりでは、本年は、08年末に6から7%であったものが、9から10%の間に上昇するだろうとのこと。

先行きを考える意味で、楽観的になれる兆候も悲観的にならざるをえない兆しも多々あるが、これなど後者の部類といえそうか。

2009年3月15日日曜日

干上がる世界経済

「世界経済は干上がっている」とはうまい表現だと思う。

グローバル化の反転か。急激な世界貿易の縮小。新興国への資金流入の減少、新興国からの資金逃避。

それ(経済)は保険に似ている。誰かのリスクを引き受けることであなたの脆弱性を減らす。どのような経済も自分自身を支えることができない。

2009年3月14日土曜日

ローカルな暮らし

The NationのTogether, We Save the Planetという一文

興味深かった。

世界は必ずいっそう厳しくなるでしょう。私たちは過去におけるよりもはるかに懸命に食糧やエネルギーのような必要不可欠なものに焦点を合わせなければならないでしょう。私たちは、とんでもなくグローバル化された経済に同調することに固有な脆弱性を減らして、いっそうローカルな暮らしを見つける必要があります。

米国のテント村か・・・

Homeless Tent Cities Springing Up In US

時価会計

時価会計原則が金融危機を深刻化させるのに一役買っているとの指摘は以前からあったが、米国ではそれを巡る攻防が激しくなっているようだ。

FTが「時価会計、歴史的教訓」として、下院の公聴会のニュースを要約してくださっている。

時価会計は、mark-to-marketといわれるように市場価格で資産の値洗いをするわけだから、常識的に考えても、procyclicalityがある。つまり景気がよいときはよりよく、悪いときはより悪くする促進的効果があるだろう。「時価会計は現在の金融災害の主要な原因で、資産価値の下落を加速し深刻化させた」といわれるのももっとも。

だが時価会計が企業の情報開示とその透明性を確保させるのも事実。

そうはいっても、景気が悪くなるほどに、その透明性確保という利点よりも、景気悪化の振幅を拡大しがちであるという弱点に目がいく。

FTは公聴会での発言のなかで、歴史的経緯についての言及を紹介している。

1930年代以来、会計家や銀行規制者は時価会計に固有な弱点を認めてきた。1938年には、連邦準備制度理事会は会計原則が改定されるべきことを勧告した。ルーズベルトはこの勧告を聞き入れ、時価会計の撤廃に動いた。時価会計に固有な弱点や景気循環促進性にもかかわらず米財務会計基準審議会(FASB:Financial Accounting Standards Board )は2007年、気まぐれにも時価会計を元に戻した・・・

やはり大恐慌のときも問題になったのである。

ミルトン・フリードマンは、1930年代に回避し得た多くの銀行の破産は時価会計のせいであると書いているそうだが、ルール見直しにまで論議が及ばざるをえないほど、現在、危機が深刻化していることは確かなようだ。

doomer

米国の情報を見ていてdoomerという言葉に出くわすことが多くなった。ルービニを始めとしてdoom(破滅)的シナリオをいう人が元気(^_^)だし、doomerとはdoom sayer(不運を予言する人)を意味するのかもしれないと勝手に解釈しているが、正しいかどうかはわからない。

そんななか、お隣の赤い独裁者のお一人が、「米国は信頼できる国であり続け、中国の資産の安全を確保」してくれと言ったというニュースを取り上げたブログは週末に読むには最適かな(^_^)。

昔からいわれるように、カネの貸し手は貸し込むほど立場が弱くなるということか。

世紀の特売か

Stock Market: “Sale of the Century”

昨日Fedが資金フローのデータを公表して持ち株の急落が示されたが、米国人の株、ミューチャルファンドのポートフォリオが第四四半期に8.76兆ドルと見積もられると。その数字は前期比22%下落。

2009年3月12日木曜日

妄想的

米経済の、今年後半の回復を信じる人は妄想的であるとのドクター破滅(ルービニ)の経済予測

Liborが上昇している

ブルームバーグの記事に、金融危機第二幕かと感じさせられる。

2009年3月10日火曜日

自己破壊の種子

フィナンシャルタイムズで、マーチン・ヴォルフの「自己破壊の種子」という金融・経済危機に関する最新の見解を一読する。

私たちが現在どこに立っているのか、どこに向かわんとしているのか、先が見えないなかで、少なくとも「過去30年の世界は過ぎ去った。この金融の竜巻の後、私たちが行き着いたところがどこか決定すべきことを私たちは求められている。」との言葉は考えさせられる。

さっと読んだ感じでは下記のような議論。図表等もあり。要参照。

もう一つのイデオロギー的な神が失墜した。30年以上政策と政治を支配した仮説は突如、革命的社会主義と同様、時代遅れに見える。

「英語で最も恐ろしかった9つの言葉は以下のようなものだ。政府から来た、援助するためにここにいる。」(The nine most terrifying words in the English language are: ‘I’m from the government and I’m here to help.’)、こんなふうに米国の保守主義のヒーロー、ロナルド・レーガンは皮肉を言った。この発言はいま、政府が何兆ものドルやユーロを金融システムに注ぎ込んでいるので古くさい歴史にみえる。

「政府は悪であり、規制緩和された市場は善である。」こうした信念はアン・ランドの生徒で時代の有力な中央銀行家のアラン・グリーンスパンの後となってみれば、どうしたら無傷で逃げおおせることができるのか、彼自身、昨年10月の議会証言で、「株主の株式を保護することで貸付機関の私益」が間違いを犯し「ショックを受けた不信の状態」にあると述べていた。

西欧では、過去30年間の親ー市場イデオロギーは混合経済という1950、60、70年代のケインズモデルの自覚された失敗に対するリアクションであった。市場への動きは1980年の米国の大統領にレーガンが選出されたことと、その前年の英国の首相、マーガレット・サッチャーの首相就任に結びついていた。そのときの連銀議長、ポール・ボルカーの役割はインフレを押さえ込むことでほとんど重要ではなかった。

しかしより大きな出来事がこの時期を形作った。鄧小平のもとでの中国の計画から市場へのシフト、1989年から1991年にかけたソビエト共産主義の崩壊、1991年以降のインドの内向きな経済政策の終焉である。中央計画経済の死、冷戦の終結、そしてなによりも、急速にグローバル化する世界経済に何十億人もが新たに参入したことがこの時代の決定的事項であった。

今日、大規模な世界的金融危機と経済活動の同期した不振によって、世界は再び変化している。金融経済は市場経済の頭脳である。救済が非常に高くつくなら、政府を退けたレーガンの左は何か。金融システムが失敗したなら、市場における信頼で何が残っているのか。

このような転換点で私たちがどこに向かっているか知るのは不可能である。混沌の1970年代に、次の時代がインフレを飼い慣らしたり、資本主義を解きはなったり、共産主義が死んだりすることをほとんど推測できなかった。なさざれざる選択、未知のショックに係っている現在、なにが起こっていくのだろうか。金融崩壊と大規模な景気後退の結合とはいえ、もしなにかがいっそう悪化しないのであれば、確実に世界を変えることだろう。市場の正当性は弱体化するであろう。米国の信頼性はダメージを受けるだろう。中国の権威は向上するだろう。グローバル化自体が崩壊するかもしれない。これは隆起の時である。

世界はどのようにしてここに至ったのか。答えの大部分は自由化の時代がそれ自身の衰退の種を含んでいたということである。これはまた、金融部門の規模と収益性における巨大な成長と、熱狂的な金融革新、世界的なマクロ経済の不均衡、巨額な家計の借り入れ、資産価格におけるバブルの時代でもあった。

グローバルな市場経済のコアであり、現在の暴風の中心である米国では、金融部門の債務総計は1981年の、GDPの22%から2008年第三四半期には117%に跳ね上がった。金融活動に頼りすぎた英国は、金融部門の債務はGDPの250%近くに達した。

メリーランド大学のカルメン・ラインハルトとハーバード大学のケネス・ロゴフは、自由化の時代はまた、1900年以来、1930年代のみが優ってはいたが、例外的な繰り返す金融危機の時代でもあったと説いている。それはまた大規模な資産バブルの時代でもあった。為替相場を低く維持し続けるための介入と外貨準備の蓄積によって、新興経済の政府は莫大な経常黒字を生み出し、その黒字を民間資本の流入と公的資本の流出二つでリサイクルした。1990年代の終わりから2008年7月までに、彼らの外貨準備だけで、5兆3000億ドルに上昇したのである。

こうした巨額の資本フローは、伝統的な多くの高所得国の余剰と石油輸出国の急速に増加する余剰の頂点で、少数の高所得国とりわけ米国で終端となる。ピーク時、米国は世界の余剰貯蓄の70%を吸収したのである。

その間、米国内部ではGDPに占める家計債務の比率は1997年の66%から10年後には100%にまで増加した。英国では家計の債務状態はいっそう大きく拡大した。そして家計債務におけるこうした大波は非常に弾性があり革新的な金融システムによって、また米国では政府の施策によって支えられた。

あらゆる点で、金融部門は絶えず革新を続けた。伝説的な投資家のウォレン・バフェットはデリバティブズを「金融上の大量破壊兵器」と言い表した。彼は少なくとも部分的には正しいことが立証された。2000年代、「シャドウ・バンキング・システム」が出現し、伝統的な銀行業は広範に、CDOのような仕組みを経た証券化の創作ー配分モデルによって置き換えられた。このモデルは2007年に破裂する。

私たちは1930年代以来、最も深く、広く、危険な金融危機を目撃している。ラインハルト教授とロゴフ教授が別の論文で議論しているように、「銀行危機は産出高と雇用の深刻な減少に結びついている。」このことは部分的には膨らみきったバランスシートのためである。米国では総債務額はピークでGDPの350%を下回るだけまでに達し、その85%が民間部門である。それは1980年のちょうど160%超から上昇したのである。

このショックの起こりうる結果には次のようなものがある。莫大な対外債務を伴う大規模で長引く財政赤字。これは需要を支えようとしたためである。長引く世界の景気後退、グローバルな国際収支の荒々しい調整、ドルの下落、インフレの急騰、保護主義への避難。変化は確実に金融部門それ自体のなかで深まっていくだろう。洗練された現代の金融はリスクを最良に管理しうるものへ移転しうるという提案は失敗した。ボルカー氏が昨年4月にスピーチで述べたように、「簡単に言って、聡明なる新たな金融システムは、あらゆる有能な関係者とって、そのあらゆる高価な報償にとって、市場の試練に耐え得なかった」。

最近の新聞でバンク・オブ・イングランドの理事、アンドリュー・ホールディンは金融の安定性にとって、いかに銀行が彼らが管理すべきとされたリスクについてわずかしか理解していなかったかを示した。彼はこうした失敗を「災害近視」(リスクを過小評価する傾向)や「ネットワーク外部性」(一つの機関から他のそれへの近隣に及ぼす影響)、「調整不良のインセンティブ」(従業員へのプラス面、株主や納税者へのマイナス面)のせいにした。
. . .

危機の後、1925年に、ウィンストン・チャーチルが望んでいたように、私たちは、確実に「金融がそれほど誇りをもてるようには」見えないでしょう。 市場は一時的ではあっても、荒々しい規律を課すでしょう。 規制もまた強化されるでしょう。

さほど明瞭でないのは政策立案者が構造的な対策を熟考するかどうかということである。投資銀行から市中銀行を分離するのか、あるいは潰すにはあまりに大きすぎ、相互に関連しあった失敗した機関の規模や複雑さの削減を強いるのか、である。また、ますます政府がトーンを上げているように、多くの銀行業務を国内市場に回帰させることも考えることができる。もしそうなら、これは脱グローバル化であるだろう。

チャーチルも産業に対して「いっそう多くの内容」を求めた。しかしながら短期的には、金融システムの崩壊は正反対を成し遂げる。すなわち世界大の産業の不振を。またそれは実体経済のあらゆる重要部門に拡大し、実体経済の多くは支援を求めることになる。

金融システムが機能不全であることが判明したのなら、私たちは事業を導く方法として株主利益の極大化にどれくらい信を置くことができるのか。つまるところ、大半の持ち株は金融機関によってコントロールされる。過去18か月の出来事で、こうした考えの愚かさが確認されなければならない。多くが結論するだろうが、金融のプレーヤーや市場を経営者に優越させるよりも経営者に企業の方向を決めさせるほうがよりよいであろう。

起こりそうな結果はヘッジファンドやプライベートエクィティ、その他投資家のような攻撃的な株主から企業を保護しようとする政府の意欲が増すことであろう。欠陥のある金融部門が信頼を失ったので、市場プロセス自体の正当性が打撃を受けた。これは自由の効く「アングロサクソン」アプローチにとってとりわけ真実である。

おまけにありそうなことは金融政策の大きな変更である。マクロ経済のコンセンサスは金融政策と財政政策の責任の分離、財政政策を自動操縦に置き、中央銀行を独立させ、金融政策の方向をインフレターゲットに向けるということであった。しかしゼロ金利によって、金融政策と財政政策の区別は消え失せた。いっそう基本的であるのは、金融政策をセットするさいに資産価格を無視する決定への挑戦である。

ボルカー氏の後継者であるグリーンスパン氏がバブルとそれに続く崩壊を作り出したとは多くが議論する。彼がしばしば説いたのは、リアルタイムでそのようなバブルを識別し、それを特定するよりもバブルを破裂させた後で一掃するほうが容易だということである。昨年11月、その教義を評価し直したが、連銀の副議長、ドナルド・コーンは一定程度の不快感をもって、正統的な姿勢を言明し直した。

コーン氏は「投機的ブームと破裂(それには数年を要する)の実体経済に対する明らかにされた重要性に照らして、中央銀行はおそらく常に、経済の見通しを評価し政策金利に適切に付随する経路を熟慮するとき、遠くの地平を見渡すよう試みなければならない」と述べたのである。中央銀行は金融政策か規制手段のいずれかをもって、さらに先に向かうべきだろう。
. . .

しかし深刻なグローバルな景気後退を伴う大規模な金融危機は、なにかがさらに悪くなるのでなければ、まさしくこれらよりはるかに広範な結果をもたらしていくであろう。

1930年代の大恐慌で起こったことを思い返そう。失業は米国を含めて、主要国における労働力の4分の1に上昇した。これは資本主義を変容させ半世紀のあいだ、自由な民主制においてさえ政府の役割を変えたのである。それは自由な交易の崩壊、社会主義と共産主義の信頼性を養い、多くの政策決定者をして発展戦略として輸入を代替させる方向にシフトさせることに導いたのである。

大恐慌はまた、対外恐怖症と権威主義に導いた。怯えた人々は部族的となる。すなわち、諸社会の内部と間に分割線がしかれる。1930年、ナチスはドイツ人の投票の18%を獲得したが、大恐慌の頂点である1932年、その割合は37%に上昇した。

すでに観察されうる一つの変化は報酬支払いの姿勢のうちにある。米国や英国においてさえ、給与水準や支援団体のあり方に対して直接統制をしはじめている。思いもよらなかったことが習慣になるということが一年間で起きた。不平等に対する姿勢の変化も等しく明白である。莫大な報酬は例外的な能力に対する報酬として受け入れられたが、高価な無能の代償としては耐え難い。富者に対する限界課税率は補強されようとしている。

さらに別の衝撃が不安感の意味で存在するだろう。国営の年金から市場ベースの現金払い方式への移行で、その信頼性は以前よりははるかに低下するであろう。逆説的であるかもしれないが、収益のある長期投資の機会は上昇した。市場と同様、政治もやりすぎたのである。

安全性を求めることは市場に対する政治的統制を強化するであろう。政治へとシフトすることはグローバルから離れて国家へのシフトを伴う。このことはすでに、金融において明らかである。それは国内の生産者たちを救済する決断に示されている。しかし保護主義的介入はこれまでのところ観察される以上に拡大していきそうである。それらはまだその初期なのである。

危機の衝撃はとりわけ新興諸国で厳しいものになるであろう。極端な貧困状態の人々の数は増すであろうし、新中間層の規模は縮小し債務状態にある新興国の政府によっては確実に債務不履行となるであろう。ローカルな、またグローバルなエリートへの信頼は市場においても、物質的進歩の可能性においてさえも、弱まるであろう。それは潜在的に破壊的な社会的・政治的帰結を伴うであろう。危機のあいだほとんどいかなる責任ももたない新興経済を援助することは、なんであれ必要である。

一般に西欧の、とりわけ米国の、事の動きに影響を与える能力も打撃を受けるであろう。西欧の金融システムの崩壊は、中国が派手に振る舞っている間に、「一極要因」に対して屈辱的なかたちで終わる。西欧の政策立案者がもがいているとき、彼らの信頼性は失われた状態にある。誰がまだ教師を信じているのか。

こうした変化は世界が世界経済を管理するばかりでなく、脆弱な国家、テロ、気候変動、新たな強国の出現といった戦略的挑戦にも対処する能力を危険にさらすだろう。今日ほとんんど誰もが依存するグローバル経済の統合は行きすぎたところで、逆転されるかもしれない。グローバリゼイションは選択である。第一次世界大戦までの数十年の統合された経済は崩壊したのである。再びそうなりうる。

2007年6月19日に、私は「新資本主義」に関する論文で所見を付けて、それが「テストされていない」と結論した。そのテストはやってきている。それは失敗した。金融自由化の時代は終わった。1930年代と違って、市場経済に対するいかなる信頼しうるオルタナティブも存在しないけれども、国際協調の習慣は奥行きがある。

「私は私たちがもうカンザスにはいないと感じている」と、ドロシーは竜巻が彼女と家と飼い犬をオズの土地に投げ入れた後、語った。過去30年の世界は過ぎ去った。この金融の竜巻の後、私たちが行き着いたところがどこか決定すべきことを私たちは求められている。

地域通貨

オルタナティブ通貨、勝利の行進

地域通貨や個人的な信用プラットフォームは危機のなか人気を博している。ワールドオンラインがキームガウアー通貨のような成功事例を紹介している。ドイツでのお話。

英文で利用できるリポート
Chiemgauer Regiomoney: Theory and Practice of a Local Currency
ここにあり。

グローバル・リセッション

50兆ドルも失われればその影響は計り知れないだろう。

IMFのミシェル・カムドゥシュは次のように言っているそうだ。

「この危機は人類史において初めて真に万国共通のものです。どの国もそれから逃れられません。それはまだ底を打ってはいません。」

2009年の成長は途上国と新興国で半分にまで落ちるかもしれない。世界経済の回復はただ本年末か2010年初めになって始まるだけかもしれない。途上国は信用危機の最初期の影響をほぼ免れたが、落ち込みがさらに悪化するのでより多くの問題に直面している。

2009年3月9日月曜日

赤インクに溺れる

世の中はおおむね悲観論者であるほうが身を処しやすい。大変だと言っておいたほうが人は振り向くものだし、予想が当たらず事態が好転したときは黙っていればよい。好転しているのだから人はとやかく言わないもの。

楽観論者は予測があたらなかったときはツライ。その楽観を信じた者はたいがい不満を漏らすものだからだ。そこで、経済を好転させるのは楽観論なのはわかっていても悲観論者が勢いを増す。悲観が支配すればするほど事態は悪化するだろうし、それはその予測をより確からしいものにさえする。

まあいずれに決めかねるのもわれわれの現実ではあるが、時折、悲観論者の議論を参照するのもよいものだ。事態の深刻さだけは共有できるわけだから。

誰もまだグローバルな金融危機がいつ終わるかについて確たる考えを持ってはいない。しかし確かなことが一つある。諸政府の財政赤字が成層圏に向かっていることだ。これから、投資家たちは新規債務の山を保有するよう説得される必要があるだろう。

ロゴフが、「諸国は重債務状態にある、赤インクのなかでおぼれる危険あり」とのglobeandmail.comのオピニオン欄で言っているが、金融危機で多大の金融資産の崩壊をみた民間部門がある反面、経済対策で、政府が多大の債務を積み上げていかざるをえない現実が目の前に広がっているのも事実だから。

これまでの歴史をみても、政府が多大の債務に溺れるとき、「金融リセッション、高インフレ、部分的債務不履行、あるいはそれらの組み合わせを通して重荷を軽くしよう」としてきた事実はあるので、債務の山と景気後退が併存しているとき、ロゴフが政府はそう試みていくだろうと予測するのはたしかにそうだなと思う。とすれば経済の回復はそう容易にもたらされるはずでもないことにも思い及ぶ。

50兆ドル

世界中の金融資産の下落は50兆ドル以上、世界経済の年間産出高に匹敵するほどか。FTの記事。

2009年3月4日水曜日

便利サイト

金融・経済危機も展開が速く、ここまで舞台が進んでくると情報量も膨大になってくる。次々展開を追いかけていかなければならないが、同時にこれまではどうであったか、振り返るときに便利なまとめサイトのごときところがあり、重宝している。もちろん完璧ではないが、かなり助かっているのも事実。

オススメしたい。

2009年3月2日月曜日

ブログ

なかなか長時間ひとつの課題に取り組めないのが忙しいわれわれの生活。そうしたなかでちょこっとアクセスして書くのも読むのも容易、ちょっとした話題を扱えるブログというもの、考えてみれば便利。

まだ始まったばかりですが、ドイツの自由経済同盟のブログが運用開始になったようです。ゲゼル全集はCDROM化されていますが、そこから、少しずつブログに掲載するつもりなのかもしれません。(まだ、資本家的搾取に言及した一つだけですが、次第に増えていくのでしょう)。

もちろんほかのカテゴリの話題もあります。

ゲゼルに関心のある方は上記を時折訪ねてみてはいかがでしょうか。

決して忘れるな

ロシアの大統領は新たな世界金融システムがゆっくりと練り上げられるだろうと言ったそうだ。「つまり新たなブレトン・ウッズ体制のために仕事を始める」と。昨年11月のG20から、次回の4月、ロンドンのそれへ。「国際条約を準備する」動きがほんとうにはじまるのか。

金融・経済危機が世界中に広がり、どこもが下降スパイラルに陥っているいま、それに期待する人がいるかもしれない。

しかしそういう方向にはいかないだろうと思う。

テレグラフでAmbrose Evans-Pritchardがいうように、「米国は覇権を持つグローバルなパワーであり続けている」。彼は、たとえば米国国債につき、「この危機のなか米国債券市場でゲームを演じるどの国も敵として扱われるだろうし、強烈な代償を支払わされるだろう」と述べ、どの国も米国の債務を引き受け続けるしかない現実を指摘している。

そうして、たとえ民間資本が米国から逃避しようとしても、一時的に資本統制を課すことさえできると。「決して忘れるな。米国は必要なら独力でやることができるくらいの戦略の奥行きをもつ一つの国であることを」と指摘している。

米国の経済状況は悪い。しかし、現状のルールを変えようとする力が入り込むスキはなかなかないだろう。

Dahlem_Report_EconCrisis

debtdeflation.comにあるDahlem_Report_EconCrisisを読む。

しろうと考えにすぎないが、世界中にたくさんの経済学者がおり多大の人的資源が投入されているわけだから、経済危機の予測などについて、的確な処方箋が出されて、衆庶は大船に乗った気持ちで経済活動をしていればよいはずだが、幾度も危機を体験させられ、景気の浮き沈みに苦しまされるのはなぜなのかと思う。

私は非学者なのでよく理由はわからないが、このリポートを読んでアカデミック・モラル・ハザードというモラル・ハザードもあるのかと知った。たしかにキンドルバーガーもミンスキーも無視されてきたのだろうと思う。

同リポートでは今回の危機につき、現在の危機は経済史の流れのなかで幾度も繰り返されてきたboom-and-bustの最終局面の一例とされるかもしれないが、二つの点でこれまでと異なっているとしている。

○ 先行するブームが少なくとも広範な部分で、投資の可能性を開く新たな金融商品の開発に起源している(ほとんどのこれまでの危機は新規実物投資の可能性における過剰投資の結果であったのと対照的)

○ 現行の危機のグローバルな次元における連結性の増大。金融システムはすでに高度に相互連結している。

この二点はアカデミックな経済学者によって無視されてきたというのである。しかし金融技術革新のアブナサや金融市場のグローバル化と情報資本主義の連結性、情報の伝染性の高度化による危険は随分以前から指摘されてきたように記憶している。それを聞き入れてこなかった私たちしろうと側にも問題ありか・・・

2009年3月1日日曜日

信用組合

「信用組合はいかにクラッシュを生き延びたか」

米国には8000もの非営利の信用組合があり、しっかりと危機のなかを生き延びていることを伝えるラルフ・ネーダーの文章

一読に値する。

投資妄想

忙しかった一週間が終わり、休日。久しぶりに、ドルイド教徒のブログを読む。
言い換えれば、お金は富ではありません。富を分配するための社会的メカニズムなのです。それをバックアップする現実の、非金融的な財やサービスのような実質的富が存在しない場合には、なにものも意味しないのです。健全な市場経済においては、流通する貨幣量と年々生産された実質的富との間にはおおまかなバランスが存在します。そうして貨幣と富との間の混乱は目立たぬ状態で知らぬ間に過ぎゆきうるのです。貨幣と富が相互に同期するようにならないとき、問題が芽生えるのです。
休日に健全なドルイドの賢者の言を読むのもよいものだ。実体との対称性を欠いた債務マネーの膨張が急速にしぼむ現実のなかで、立ち返るべき地点を教えてくれている。