2009年11月30日月曜日

単純な教訓

たしかにドバイの砂と痕跡はバビロンのそれを想起させるものかもしれない。メディアが伝えるその写真はそういう感じを持たせる。

ブイターのブログ記事、「ドバイ・ワールドの本質的に重要でないこととそれが伝える重要なより広範なメッセージ」はこの件でおさえるべき視点を提供してくれているか。一読の価値あり。

「ドバイはシステム的には重要ではない。 家計の債務不履行から銀行のデフォルトを経て国家デフォルトへの旅程の、ありそうな最終的な行程の始まりの切迫性に目をひらくなら、その国の財政ー金融ポジションの脆弱性を金融政策決定者に警告することで、また深刻な財政負担を共有する緊急性を市民や有権者に教育することで、それは若干システム的によいことをするかもしれない。」

ということだ。

目を引いた指摘はこれ。

「ドバイとアブダビの主権者がドバイ国有企業の債務の後ろ盾でないかもしれないなら、本当に、ドバイ・ワールドやナヒールによる債務返済猶予や債務不履行が多くの市場参加者にとってニュースであることは明らかである。彼らは、ただ公的債務のみが主権者の債務であり、最高に保証された唯一の債務が主権者によって保証された債務であることを学んでしまうであろう。 単純な教訓ではあるが、有益なものである。」

事態はニュースにあふれていても、教訓はシンプルであるか。

そしてシンプルな教訓を提供する事実ほど動かしがたいし、覆い隠せないものだ。

ドバイの金融危機

ドバイの金融危機のニュースは世界を駆けめぐって、敏感なマネーを安全資産へと逃避させ、株式は下げ、ドルと円は上昇しと波乱をもたらした。キャリートレードによる高いリスクテイクは悪夢シナリオを呼び起こす。

そんななかマイク・ホイットニーの「ドバイにおける金融危機、悪夢シナリオへか?」が目に付く。ひとによっては、声高な危機を煽る主張をするが、彼の指摘が順当なところではないかなと感じられる。

要旨はこんなところ。

ドバイのデフォルトは金融崩壊2の始まりではない。ここでドミノを探さないように。然り、新興経済、とりわけ東欧で大きな債務膨張に関する深刻な問題が挙げられる。だが、これは厳密な意味で「ソブリン・デフォルト」ではない。そして、メルトダウンが伝染する高いリスクは少しもない。油の豊富なアブダビは流動資産を8000億ドルくらい積み上げている。平然とドバイ・ワールドの600億ドルの債務を返済するかもしれない。しかし、アブダビは浪費家の弟に債務のリストラを強いることでモーニングコールを送りたがっている。それは、銀行、債券所有者、および契約者が髪を切らねばならないことを意味するが、商業用不動産市場の底知れない状態を考えると、驚くべきことではない。

ドバイ・ワールドの所有者は米国中を吹き荒れた、同じような性急な債務であおられた商用建築工事のどんちゃん騒ぎをしていた。いま需要は崖から転落し、信用は窮屈になっている。ドバイ・ワールドは債務を繰り延べることはできないし、義務を果たすこともできない。それは、クレジット・バブルがはち切れたとき通常起こることである。

木曜日に、バンク・オブ・アメリカのアナリストは声明を出した。「アルゼンチンが2000年代初期、ロシアが1990年代後期にあったのと同じ仕方で世界の新興市場で騒がれた重大なソブリン・デフォルト問題に次第に拡大するであろうケースを除外できない」と。

これはナンセンスだ。いかなるソブリン・デフォルトもないであろう。アブダビは、数10億ドルを節約するために世界市場を急降下させはしないだろう。バンク・オブ・アメリカはほらを吹いている。危機が始まって以来、油は既に1バレルあたり3ドル下落している。おそらく、市場が月曜日に開く時までに一時的な解決があるだろう。それは、この最新の金融上の災難から学ぶ重要な教訓がないことを意味しはしない。それはある。

まず第一に、金融危機が終わらなかったことを例証している。家計やビジネス、国はいまだ「信用収縮」している。その進行中の過程は、支出を遅らせ、デフォルト、倒産、差し押さえを増加させるだろう。政府保証や刺激プログラムは趨勢を反転させないであろう。ドバイ・ワールドのような、数多くの事件が予想されるべきだ。これらの「信用案件」は、下降へと回復を混乱させ、株を押し下げるリスク回避に拍車をかけることだろう。

RGE Monitorのアルナブ・ダスはこれをこう要約している。「私たちは必ずリスク回避の上昇を見るだろう」。 ドバイの状況は、世界中の主要な中央銀行が金融システムを安定させたが、それらはどのような不節制も隠してしまうことはできないことを意味している。私たちはいまだバランスシート圧力を解決しなければならない。 回復は続いているが、重要な挑戦がまだ目前にある。」 (ブルームバーグ)

第二に、こうした事件が起こるとき、顕著な巻き添え被害が起きる。債券を引き受けているCDSのような規制されざる保険証券からである。こうしたCDSデリバティブッズは公の取引で販売されず、それを誰が保有しているか、どれくらいの金額で、請求に対して支払う十分な資本準備を発行者が持っているかどうか誰も知らない。システムが規制されるか、CDSが禁止されるまでは、AIGを幾度も繰り返すことを、より小規模であるにしても予想すべきである。結論は、現在の金融構造が働くようには設計されていないということだ。それは、一握りの投機家を大金持ちにするように設計されている。これらの投機家は議会、ホワイトハウス、および金融メディアを所有している(規則にどのような見るべき変化もなかった理由だ)。

ドバイはアルゼンチンではない。解決があり、契約者は支払われるだろう、全部ではないにしても。損失があるだろうが、接触伝染はないだろう。

ドバイの支払い「停止」に関するニュースは投資者の信頼がすでに薄かった世界市場をかき乱した。ドルと円は強くなった、そして、米国国債は変動した。「安全への逃避」で、連邦政府は資産価格を再膨張させるのがいっそう困難になっている。ドバイのような信用案件で投資家は神経過敏になる。そして、彼らは角を引っ込める。それは、不振を拡大して、不況を深刻化させる。

ドバイ危機が長引くと、ドルはいっそう強くなるだろう、そして、盛況のキャリートレードはクラッシュするだろう。このことが意味するのは、ハイリスクなポジションへの投資にのめり込んでいる手を広げきった銀行が再び打ち負かされることである。それは悪夢のシナリオである。

連銀は、金融システムの腕に武器を巻き付け、危険な抵当に何兆ドルもの無制限の保証をつけた。しかし、それは十分でないかもしれない。

2009年11月24日火曜日

クック・プラン

リチャード・クックのサイトを見たら「経済危機となされるべきこと」という記事中に、貨幣改革や地域通貨に言及した条りがあった。経済危機への対応策として金融システムから貨幣発行の力を公が取り戻し、コモンズとする議論はあれこれあるが、彼がみずから「クック・プラン」と呼ぶのもその一つ。

まあ、批評したいことも多々あるが、地域通貨への言及が減少している昨今、まずは紹介しておくかな。

・・・進歩的な人々がもっと仕事を作り出すために政府はいっそう多くの借り入れをすべきだと考えるのは間違っている。これは将来の世代が厳しく非難するであろう債務のいっそう深い穴を作り出すだけである。

むしろ鍵は地方か国家レベルかにかかわりなく、貨幣改革である。人々は生計をたてる能力のコントロールを失った。しかし変化は人々と国家による交換の貨幣的手段の主権的管理を通して実現されうる。

この管理は盗み取られてきた。取り戻すべきときである。一つの方法は危機が解決するまで連邦政府が成人に月1000ドルの救援資金を支払うことだろう。このマネーは米国内で生産された財やサービスを指定され、新しく作られる地域開発銀行の資本に使われる。私はこれを”クック・プラン”と呼んできた。

このプランは新しい税金や政府借り入れなしに財務省の救済勘定からの直接支払いによって資金融通される。この支払いはGDPの伸びと貸方サイドでバランスするか、債務を返済するために個人によって使用されるだろう。それは南北戦争前後に顕著なインフレなしにグリーンバックによって行われたように政府支出を促すであろう。

もう一つの方法は、今日米国で益々活用されているが、地方的で、地域的な信用清算所や地域通貨や”代用貨幣”の使用である。こうした通貨の利用は洲や連邦レベルで租税支払いや政府への料金支払いに認めたり、またローンやその他銀行債務への支払いにも使えるようにする立法によって機能強化されるだろう。信用清算所は消費者信用組合に似た民間の地域通貨協同組合として組織されうるだろう。

これらは即座の緊急手段である。より長期には、貨幣と信用に対する主権的管理が公共的なコモンズに戻ってこなければならないし、公的な事業として扱われなければならない。このことは銀行によるコントロールを政府に戻すことだけを意味するわけではない。先に述べたように、政府と民間の取引のパートナーシップでなされるだろう。それはすべてが公益のために規制され公正に課税されるにしても、政府によるビジネスや産業、あるいは銀行システムの接収を意味しはしない。

このプログラムは貨幣と信用が、必要とされるときや場所で財やサービスの生産者たちの間で交易を容易にするのに利用される通貨の新しいパラダイムに導くであろう。こうした方法で、取引や商業は、今日の債務で数兆ドルを抱えた大きな政府と世界全体を人質にとっている巨大金融の異常なパートナーシップによって人間の自由を減退させるのではなく、人間の自由に役立つようになるだろう。

このような変化がほんとうの人民主義革命であろう。
詳細は上記サイト参照。

岐路

2009年11月17日火曜日

非難の先

2009年11月16日月曜日

イスラム金融

「イスラム金融が趨勢を決める」かァ・・・

「ザ・バンカー誌の11月号の、2009年イスラム金融機関トップ500によると、従来の銀行業が停滞している間、イスラム金融は強力な成長を見続けている。

シャリアー完全対応の銀行乃至通常銀行のイスラム金融窓口によって保有される資産は2009年、2008年の6390億ドルから28.6%上昇して、8220億ドルとなった。・・・2010年には1兆330億ドルに達すると予測される。・・・

「保守的なリスクアプローチ並びに金融部門と実物資産の間の緊密なリンクが、最悪の金融恐慌から同部門を保護するのに役だった。」

「イスラム銀行での流動性管理の改善された方法を見出し、また機関と市場の間でシャリアー及び慎重な承認を調和させることが重要なハードルとして残っている。透明性と財務報告はイスラム金融にとって課題のままで残っている」
と同誌。詳細は上記リンクへ。

ドルのジレンマ

基軸通貨としてのドルの地位に関する議論にはやかましいものがあったが、フィナンシャルタイムスで、米国がドルという国際流動性の供給を独占してきたことにまつわる基本的なジレンマについてPaul De Grauweが取り上げている。

かつてのトリフィンの議論を呼び起こす議論でもあるが、ドルの先行きを考えるにつき忘れてならない視点であるので、ちょっとメモしておきたい。

ドルはなによりも米国の内国通貨でありながら、同時に国際流動性にもなっている。増加し続ける国際的なドル需要に応えていけば、それは国内の通貨政策と齟齬をきたす。そのドルのジレンマから米国がどうやって抜け出すか、私自身も市場が賢明にも賭けている方向にいくだろうと感じている。それは米国にインフレを不可避とするが、ありそうな選択肢ではある。

Paul De Grauweの議論はざっと読んだだけだが、こんな感じである。

ドルのジレンマ

Paul De Grauwe

最近のユーロや日本円のような主要通貨に対するドルの下落は壮観である。さらに壮観であるが、しばしば忘れられているのは、世界中の主要通貨に対する長期のドル安である。1960年以来、ドルは日本円やスイスフラン、独マルク(1999年以降はユーロ)に対してその価値の三分の二を失った。

長期のドル安は少なくとも1990年代前半以降、米国が優れた経済成果を生む、すなわち多かれ少なかれ同一のインフレ率でもって欧州や日本より高い生産性の伸びが見られたように考えられるのでとりわけ驚かされるようにみえる。しかし、優れた経済的成果の見かけにもかかわらず、ドルは、劣った経済体制を持っていると考えられた国の通貨に対して価値を失い続けた。このパラドックスはどこから来ているのだろうか。私の説明は国際通貨にとってのジレンマの存在に基づいている。世界(特にアジア)は、ここ25年間で成長が急速で、また成長し続けるだろう。急速に成長する世界経済は多くの流動性を必要としている。国際通貨で国際流動性を提供しなければならない。この機能を提供するただ一つの通貨が存在し、それはドルである。

米当局にとってのジレンマは現在、以下のような仕方で突然現れる。米国の金融当局はインフレ抑制を目的とする政策を採用する。英国やユーロゾーンの場合のように明白なインフレターゲットはないが、それが暗黙のものであることは確かである。この暗黙のインフレ目標は、ほぼ2パーセントであり、これには連邦準備制度理事会がドルを発行するとき、これらのドルがほぼ一定の(すなわち1年あたり2パーセントだけ減価して)米国商品やサービスのバスケットを購入するという暗黙の見込みを与えることが含意されている。米国経済が平均して1年でおよそ3パーセントの速度で伸びるなら、このことには、年間のドル供給の増加がおよそ5パーセントであるべきであること(2パーセントのインフレと3パーセントの経済成長)が含意される。

しかしながら、この価格安定への関与はドルの国際的な役割と衝突する。ドルの世界的な需要は米国の価格をほぼ安定に保つ5パーセントの通貨供給量の伸びを格段に超える年率で増加する。

したがって、米国の通貨当局は世界のドルへの高需要に対応する政策を選択しなければならないが、しかしそのことで、ドル供給は米国における物価の安定性をおおよそ維持するよりもはるかに速く増加していくであろう。あるいはまた、米国がインフレ目標に執着しても、それは、世界中のドルの高需要を犠牲にして、ドル供給をはるかに低いレベルに制限すること必要とする。

このジレンマは1960年代の金ドル本位制の時期に存在したものに類似している。その時、米国はドルを決まった価格で金に交換可能であることを保証した。金のストックはほぼ一定であったが、ドル需要が急速に増加したので、米国がドルへの世界的な高需要に対応する場合、あまりに多くのドルが決まったストックの金を入手しようとするので、金とドルの交換性を維持できないだろうということが、次第に明確になった。このジレンマはトリフィンによって分析された。(トリフィンは、1960年代に米国が金とドルの交換性を放棄しなければならないと予測した)。

したがって、このジレンマの現代版は、ドルを求める世界の需要を満たすために米国当局によって作り出された大量のドルがほぼ決まっている米国商品やサービスのバスケットと交換可能であるという約束に反していると予測する。

古いブレトンウッズ体制におけるように、米国がこのジレンマから抜け出るには二つの方法がある。一つはこの暗黙の約束を放棄することにある。これは物価の安定性に関与することの放棄に達する。ジレンマからのもう一つの道は、他国に対して米国が物価の安定性にこだわり、ドル(米国国債を含む)の供給を劇的に抑制することである。これは世界経済を悪性の不況に変えそうである。

市場は、米国がジレンマからの最初の出口、すなわち米国が物価の安定性への関与を棄てることを選ぶほうに賭けている。また、大量のドル供給が、米国当局にいかなる国も得ることができない財政赤字にファイナンスすることを可能にする極度に魅力的な特権であるので、それは妥当な賭けでもある。しかしこの選択は、米ドルが世界の主要通貨に対して幾年にもわたり下落を続けることを意味する。

2009年11月13日金曜日

ドル、破滅のループか

ザ・ベースライン・シナリオの「ドル、破滅のループ」を読む。

まあ誰でもが見させられている光景ではある。大要、こんな議論になっている。

米国ドルが値は他の主要通貨で尺度してその価値における大きな下落のまっただ中にある。2002年以来下落は安定していたが、我々の通貨はそのピークから約35パーセント下がっている。過去18カ月のグローバルな金融危機の期間、10パーセント少し強くなった後に、ドルは再び危機以前の安値に向かって下がっている。1967年以来の最安値である。

しかし、ドルがすぐにもよりいっそう速く下落する可能性があるのはあきらかである。

一般的な経済戦略のレベルでは、米国政府は金融部門危機に積極財政で対応してきた。そして連邦準備制度理事会は緩和的な金融政策を実行している。英国中央銀行ので金融安定に責任を負うAndrew Haldaneはそれをこのように表現する:

「当局にとって(金融部門の行きすぎたリスクテイクは)ジレンマを引き起こす。事の前には、彼らは「決して再び」というかもしれないが、危機の事後のコストはこのような言明が真実ではないことを意味する。このことを知ると市場参加者の合理的な反応は彼らの賭けを倍にするというものだ。これが将来の危機のコストに付け加わるのである。そしてこうしたコストが大きいほど、「決して再び」という表明の真実性は低くなる。これは破滅のループである。」

さらに金融危機に加えて、大きな経常収支の赤字がある。これは世界から販売するより多く購入していることを意味している。赤字は最新の利用可能な第二四半期のデータで1000億ドルである。そしてこれに海外から流入する資本でファイナンスする。(経常収支の赤字は約6%から下がっているが、低下の三分の二は石油価格の低下による)

これまでこうした資本流入の多くは様々な種類の民間投資であったが、世界中の投資家は米国政府の債務及びドルが本当にペーパー上の価値があるのかどうか問題にするので、海外から赤字にファイナンスするのがますます難しくなっている。

このことはドルにとって何を意味するのか。

財務長官ティモシー・ガイトナーは、米国経済にとって、強いドルが「非常に重要」であると繰り返すが、米国の財政・金融政策は貨幣価値低下へと押しやっている。銀行を救済するためにチープ・マネーが必要である。そしてこれはインフレを含意している。経常収支の赤字にファイナンスするためには、投資家たちが米国から安価な資産を購入していると考える必要がある。・・・

ドルの「ハードランディング」は苦痛であるかもしれない。

1980年代の古典、スティーブン・マリスの『赤字とドル:リスクに瀕する世界経済』は急速なドルの下落が米国をインフレへ押しやり高金利と深刻な景気後退をもたらすと強調した。フレッド・バーグステンはフォーリン・アフェアーズの最新版で書いているが、こうした結果が今日でもありうると強調している。ドル安傾向はインフレ懸念を引き起こすであろう。したがって長期公債の利回りは投資家にインフレ補正するために上昇するであろう。そして巨額の債務にファイナンスするにはよりいっそうの支払いを必要とするであろう。

米ドルが1998年のロシアや2002年のアルゼンチン、1970年代のブラジルのような、比較的短期間に貨幣価値が50%以上下落したような新興市場に続くかもしれないとの考えはいま信じにくい。しかしこうした「破滅シナリオ」は将来変わらずに非現実的ではあるわけではない。

こうした文脈で、米国政府はこうした調整を順調に維持し、ドルへの信任がさらに下落するのを止めるために財政赤字をコントロールする必要がある。我が政府は支出するよりはるかに僅かな税しか徴収していない。すみやかに税を徴収し支出を抑制するほかに選択はない。

(連銀がコントロールする)短期金利は低いままであろうが、(市場に決定され、財務省と連銀がドルの価値を強く維持することへの信頼によって影響される)長期金利は上昇するであろう。人々がドルへの投資が質を落とすことを恐れるからだ。連銀と英国中銀はなにが起こっているか知っているのは間違いない。長短金利の開き(イールドカーブとして知られるが)は上昇するだろう。そして銀行は利益を得るだろう。住宅購入者や当座貸越やクレジットカードで未済バランスを持つ者は負担が増えよう、貯蓄者は少数となる。

これが公衆が過去の金融システムの損失を負担する仕方である。

我々はこれを何度も繰り返す必要はない。我々は根本から我々の金融システムを変えることでスタートしうる。我々は大銀行が失敗するたびに救済する約束を確実に取り去る必要がある。このことが意味しているのは彼らにより多くの資本を持たせ、彼らを分割し、より小規模にし、彼らがプアなギャンブルをするとき失敗させることである。
破滅を繰りかえし、その損失を公衆が負わされる仕組みは終わらせなければと誰もが思う。たしかに金融システムを変えることは大事だ。そこからスタートできたにしても、ドル安の元にある財政赤字と経常収支の赤字はすぐには解決しうるものではなく、インフレが来よう。それは公衆の負担を増す。ましてや財政赤字の解決のために増税まで必要なのだから、金融危機のしわ寄せを受けながら同時に負担増を耐えねばならず、かててくわえて、経常収支を改善するには、購入する以上に販売しなければならない。米国の困難は容易なものではないなあ。

もちろん、他国を懸念する暇があれば、自国の現状を憂えたほうがよいのではあろうが。

2009年11月11日水曜日

金融取引税

金融取引税にディーン・ベーカーが言及している。

「金融取引税の論理は簡単である。それは株式や先物取引、クレジット・デフォルト・スワップ、および他の金融商品の取り引きに控え目な料金を課すだろう。例えば、英国は株式の販売や購入に0.25%の税金を課す。これは長期間株式を保有しようとの意図を持って株式を購入する人たちにほとんど影響を与えない。

例えば、だれかが1万ドルの株式を買うと、彼らは、購買時点で、税金25ドル支払うだろう。10年後に2万ドルで株式を販売すると、彼らは税金50ドル支払わなければならないだろう。税金の総計は0.8パーセントのキャピタルゲイン税の増加に同等である。」
頻繁に金融取引を繰り返すものはこの税に声高に反発するであろうが、長期投資を督励する効果が金融取引税にはあること、それは実体経済にとってプラスであることが確認されてよいと思う。

2009年11月10日火曜日

資産バブルの崩壊ーートリックの代償