2010年3月11日木曜日

沽券

沽券にかかわるという言い方がある。じぶんの体面が保てなかったり、傷つけられるときに使うが、じぶんの品位という値打ちが傷むときに言うわけ。ようするに沽券とは値打ちであり、売り渡すときの値段。

昔、財産を売買する契約が成立したとき売り主が買い主に確認のために与えるのが沽券証文とか沽券状、沽却状といったそうで、売券(うりけん)。

下記では農地を手に入れたい人間がよい農地の売り手が現れるまで、大金を持っているのは物騒。どうしたものかというとき、村の庄官(しやうや)に預けておけばという話のくだり。

「おめへ方(がた)の身(み)の上(うへ)を 具(つぶさ)に説(はな)して相応(さうおう)な 田地(でんち)の沽人(うりて)が出来るまで ひと月なり二タ月なり 金(かね)を預(あづけ)ておいたがよかろう 此人(このひと)なれば大丈夫だ 勿論金のことだから そりや佶(きつ)とした預かりの 一札(いつさつ)とつておくがよし どうで田地の沽(うり)ひきも 庄官(しやうや)が判(はん)をするものだから ・・・」(為永春水、『孝女二葉錦』)


この文章で、昔は、農地売買では庄官(しやうや)がなにくれとなく世話をして、その売買には庄官の同意(判をする)がなければならないことを知った。

今日、農業を新規に始めたい人は多い。しかし新規就農者が農地を手に入れるのは実に難しく、借地で不安定な農業をするしかない事例を聞く。一方に耕作放棄されている農地を見ながら、他方でそうなのである。

「田地の沽(うり)ひき」につき、沽券に判を押した庄屋さんのような役回りはいまおらないのか、と思う。

1 件のコメント:

世界広 さんのコメント...

とても含蓄のあるシステムですね。庄屋さんあっての信用なのですね。「沽券」を売り買いだけでなく、心の交換にも役立てることができないだろうか、、、そんなことを思いました。